【易経】第29卦「坎為水(かんいすい)」– 繰り返す困難の深淵で、誠の光を灯し貫く
1. 卦象(かしょう): ䷜
2. 名称(めいしょう): 坎為水(かんいすい)
3. 【この卦のメッセージ】
上卦(じょうか):坎(かん) – 水、険難、陥る、悩み、心
下卦(かか):坎(かん) – 水、険難、陥る、悩み、行い
全体のイメージ: 険しい水(坎)が、さらにその上に険しい水(坎)を重ねる。この「坎為水」の姿は、まるで底なしの深い穴に落ち込み、さらにその上からも困難が覆いかぶさってくるような、二重の危険と苦難が連続する、非常に厳しい状況を象徴しています。「坎」という文字は、土にできた穴や落とし穴を意味し、ここでは物理的な危険だけでなく、精神的な苦悩や、人生における試練、八方塞がりの状態を表します。 しかし、水は同時に、流れを変え、障害物を避け、そして最終的には必ず低いところへと落ち着き、また生命を潤すという、柔軟性と持続性、そして清浄さをも象徴します。この卦は、絶望的な状況の中にも、わたしたちが内なる誠実さを保ち、智慧と忍耐をもって臨むならば、必ずやその困難を乗り越え、心の成長を遂げることができるという、深い教えを秘めているのです。
卦辞(かじ)– この卦全体のテーマ
原文(漢文):習坎。有孚、維心亨。行有尚。
書き下し文:習坎(しゅうかん)は孚(まこと)有り。心(こころ)を維(つな)げば亨(とお)る。行(おこな)けば尚(たっと)ばるること有り。
現代語訳:繰り返す困難(習坎)の時である。しかし、内なる誠実さ(孚)を持っていれば、心を一つに繋ぎとめ、集中することで(維心)、その願いや目的は通じる(亨る)。そして、その誠実な心に基づいて行動すれば、それは称賛されるべき立派な行いとなるだろう(行けば尚ばるること有り)。
ポイント解説:
この卦辞は、まず「習坎(繰り返す困難)」という厳しい状況認識から始まります。しかし、絶望を語るのではありません。その直後に続く「孚有り、心を維げば亨る」という言葉は、どんな困難な状況にあっても、わたしたちが内なる「誠実さ(孚)」を失わず、心を一つに集中し(維心)、諦めずに真摯に取り組み続けるならば、必ず道は開け、願いは成就する(亨る)という、力強い希望のメッセージです。さらに、「行けば尚ばるること有り」とは、その誠実な心からの行動は、周囲からも認められ、尊敬される価値あるものとなることを示しています。困難な時こそ、人の真価が問われ、そして磨かれるのです。
爻辞(こうじ)– 各爻(こう)が示す変化の機微と物語
初六(しょりく):
習坎(しゅうかん)に、坎窞(かんたん)に入(い)る。凶(きょう)。
原文:習坎、入于坎窞。凶。
書き下し文:習坎(しゅうかん)に、坎窞(かんたん)に入(い)る。凶(きょう)。
現代語訳:繰り返す困難の中で、さらに深い穴の底(坎窞)に入り込んでしまう。凶である。
ポイント解説:
困難の始まり。まだ状況に慣れておらず、対処法も分からないため、次から次へと重なる困難(習坎)の中で、さらに深い苦境(坎窞)へと落ち込んでしまう状態です。これは非常に危険であり、凶運を示します。このような時は、闇雲にもがくのではなく、まずは冷静に状況を把握し、これ以上深入りしないように注意することが大切です。
九二(きゅうじ):
坎(かん)に険(けん)有り。求(もと)むること小(すこ)しく得(う)。
原文:坎有險。求小得。
書き下し文:坎(かん)に険(けん)有(あ)り。求(もと)むること小(すこ)しく得(う)。
現代語訳:困難な状況の中に、さらに危険が潜んでいる。大きな成果を求めず、小さなものを少しずつ得るように努めるべきである。
ポイント解説:
依然として困難な状況(坎に険有り)は続いていますが、九二は陽爻であり、内卦の中心にあって、困難に立ち向かう力を持っています。しかし、まだ大きな行動を起こす時ではありません。大きな成功を焦らず、まずは小さな目標(求むること小しく)を確実に達成していくことで、少しずつ状況を改善していくべきです。地道な努力と、ささやかな成果を大切にする時です。
六三(りくさん):
来(きた)るも之(ゆ)くも坎坎(かんかん)たり。険(けん)にして且(か)つ枕(まくら)す。坎窞(かんたん)に入(い)る。用(もち)うる勿(なか)れ。
原文:來之坎坎、險且枕。入于坎窞、勿用。
書き下し文:来(きた)るも之(ゆ)くも坎坎(かんかん)たり。険(けん)にして且(か)つ枕(ちん)す。坎窞(かんたん)に入(い)る。用(もち)うる勿(なか)れ。
現代語訳:進んでも退いても、行く先々で困難に遭遇する。危険な状況にあり、しかもそれに慣れて安住してしまっている。これでは深い穴の底に入り込むばかりで、何もしてはならない。
ポイント解説:
進むも退くも困難だらけ(来るも之くも坎坎たり)で、八方塞がりの状況です。さらに悪いことには、その危険な状態(険にして)に慣れきってしまい、まるで枕を高くして寝るように、危機感が薄れ、諦めにも似た状態(且つ枕す)に陥っています。これでは、ますます深い苦境(坎窞に入る)に沈んでいくだけです。このような時は、新たな行動を起こすべきではなく(用うる勿れ)、まずは現状の危険性を再認識し、危機感を取り戻すことが先決です。
六四(りくし):
樽酒(そんしゅ)簋貳(きじ)、缶(ほとぎ)を用(もち)う。約(やく)を牖(まど)より納(い)る。終(つい)に咎(とが)なし。
原文:樽酒簋貳、用缶。納約自牖。終无咎。
書き下し文:樽酒(そんしゅ)簋貳(きじ)、缶(ふ)を用(もち)う。約(やく)を牖(ゆう)より納(い)る。終(つい)には咎(とが)なし。
現代語訳:樽の酒と、二つの竹の器に盛った食べ物、そして質素な土器を用いる。(このように飾り気のない真心で)窓から簡素な約束事を申し入れる。そうすれば、最終的には咎めはない。
ポイント解説:
困難な状況の中で、誠実さをもって他者と交渉し、協力を得ようとする姿です。豪華な贈り物や体裁を飾るのではなく、質素ながらも真心(樽酒簋貳、缶を用う)を込めて、ひそやかに、しかし誠実に(約を牖より納る)意思を伝える。そのような純粋で飾らない態度は、相手の心を動かし、最終的には困難を乗り越えるための助けとなり、咎めを避けることができます。誠意と工夫が道を開く時です。
九五(きゅうご):
坎(かん)盈(み)たず。祗(まさに)既に平(たい)らかなり。咎(とが)なし。
原文:坎不盈。祗既平、无咎。
書き下し文:坎(かん)盈(み)たず。祗(まさ)に既(すで)に平(たい)らかなり。咎(とが)なし。
現代語訳:困難の穴がまだ一杯になっていない(危険が極限に達していないうちに)。ちょうど良い具合に平穏な状態が保たれている。咎めはない。
ポイント解説:
君主の位にあり、困難な状況(坎)の中心にいながらも、その危険がまだ極限に達しておらず(坎盈たず)、状況をコントロールできている状態です。知恵と徳によって、困難が溢れ出るのを防ぎ、ある程度の平穏(祗既に平らかなり)を保つことができています。適切な対処によって、大きな災いを避け、咎めなく過ごせる時です。
上六(じょうりく):
徽纆(きぼく)を用(もっ)て係(つな)ぎ、叢棘(そうきょく)に寘(お)く。三歳(さんさい)得(う)るなし。凶(きょう)。
原文:係用徽纆、寘于叢棘。三歳不得。凶。
書き下し文:徽纆(きぼく)を用(もっ)て係(つな)ぎ、叢棘(そうきょく)に寘(お)く。三歳(さんさい)にして得(う)ることなし。凶(きょう)。
現代語訳:太い縄でがんじがらめに縛り上げられ、いばらの茂みの中に置かれている。三年もの長い間、その苦境から抜け出すことができない。凶である。
ポイント解説:
「坎」の困難が極まり、完全に身動きが取れず、非常に苦しい状況です。まるで太い縄で縛られ、いばらの中に投げ込まれたように、どうすることもできず、長期間(三歳)その苦しみから解放されません。これは、これまでの爻で示された教え(誠実さ、助けを求める、無理をしないなど)に背いた結果かもしれませんし、あるいは、ただひたすら耐え忍ぶしかない、極限の試練の時を示しているのかもしれません。いずれにしても、非常に厳しい凶運です。
大象伝(たいしょうでん)– この卦の形から学ぶ、理想のあり方
原文(漢文):象曰。水洊至、習坎。君子以常德行、習教事。
書き下し文:象(しょう)に曰(いわ)く、水(みず)洊(しき)りに至(いた)るは習坎(しゅうかん)なり。君子(くんし)以(もっ)て德行(とくこう)を常(つね)にし、教事(きょうじ)を習(なら)う。
現代語訳:象伝は言う。水が繰り返し流れ来て、次々と困難に陥るのが習坎の形である。君子(人格者)はこれに倣(なら)い、常に徳のある行いを続け、教えや仕事(やるべきこと)を繰り返し習熟する。
ポイント解説:
水が次から次へと流れ込み、困難が繰り返されるのが「習坎」の象徴です。これを見た君子は、そのような困難な時代にあっては、まず「德行を常にし」、つまり、どんな状況でも変わることなく、常に道徳的な行いを堅持し続けることの重要性を学びます。そして、「教事を習う」、つまり、教えを繰り返し学び、行うべき仕事を繰り返し練習し、習熟することで、困難に対処する能力と精神力を養うのです。困難な時こそ、基本に立ち返り、徳を磨き、実力を養うことが、それを乗り越えるための唯一の道であると教えています。
【むすび】
坎為水の卦は、わたしたちの人生における「困難」や「試練」の意味を深く問いかけ、その中でいかにして内なる光を失わず、成長の糧としていくかという、厳しくも力強い智慧を授けてくれます。
坎為水の時は、わたしたちの精神力、忍耐力、そして何よりも内なる誠実さが試される、厳しいけれども非常に重要な時です。しかし、この卦は決して絶望を語るものではありません。むしろ、この困難な「習坎」の経験を通してこそ、わたしたちは真の強さと智慧を身につけ、心の奥底から湧き上がるような「亨(とおる)」という喜び、そして人間としての深い成長を遂げることができるのだと、力強く教えてくれているのです。この試練の時を、大きな飛躍台として、勇気と誠実さをもって乗り越えていきましょう。
