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【易経】 第45卦「沢地萃(たくちすい)」– 人々集い喜び満ちる、感謝と備えで築く共同体

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【易経】 第45卦「沢地萃(たくちすい)」– 人々集い喜び満ちる、感謝と備えで築く共同体

1. 卦象(かしょう):

2. 名称(めいしょう): 沢地萃(たくちすい)

3. 【この卦のメッセージ】
上卦(じょうか):兌(だ) – 沢、喜び、悦楽、少女、口(言葉)
下卦(かか):坤(こん) – 地、受容、柔順、母性、大衆
全体のイメージ: 広大な大地(坤)の上に、水が豊かに集まってできた潤いのある沢(兌)が広がっている。この「沢地萃」の姿は、まるでオアシスに人々や動物たちが自然と集まってくるように、あるいは祭りの広場に多くの人々が笑顔で集うように、共通の喜びや目的のもとに、多くのものが自然と一箇所に「萃(あつ)まる」状況を象徴しています。「萃」という文字は、草が群がり生い茂る様を表し、ここでは人々の集合、物資の集積、そしてそこから生まれる活気と繁栄を意味します。 大地は万物を支え、沢は生命を潤し、喜びをもたらす。この二つが調和し、互いに影響し合うことで、大きなエネルギーと豊かな実りが生まれるのです。それは、共通の目標に向かって人々が心を一つにし、協力し合うことの素晴らしさ、そしてその結果として得られる大きな喜びと成功の物語をわたしたちに示しています。

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卦辞(かじ)– この卦全体のテーマ

原文(漢文):萃。亨。王假有廟。利見大人。亨、利貞。用大牲吉。利有攸往。

書き下し文:萃(すい)は亨(とお)る。王(おう)廟(びょう)に假(いた)る。大人(たいじん)を見(み)るに利(よろ)し。亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よろ)し。大牲(たいせい)を用(もち)うれば吉(きち)。往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よろ)し。

現代語訳:萃(人々が集まる時)は、願いは通る。王が宗廟(先祖の霊を祀る大切な場所)に詣でるように、敬虔な心で臨むべきである。徳の高い優れた人物(大人)に会い、その指導を仰ぐのが良い。願いは通り、正しい道を守ることが大切である。盛大な供物(大牲=大きな犠牲や努力)を用いれば吉である。目的を持って進んでいくのが良い。

ポイント解説:
この卦辞は、「萃」の時が非常に吉運であり、願い事が成就する(亨る)ことを力強く示しています。しかし、その集まりが真に価値あるものとなるためには、いくつかの重要な心構えが求められます。「王廟に假る」とは、人々が集う目的が、単なる私的な利益のためではなく、祖先を敬い、共同体の精神的な中心を大切にするような、敬虔で公的なものであるべきことを示唆します。「大人を見るに利し」とは、このような時には、優れた指導者の導きが不可欠であることを意味します。そして、「貞しきに利し」と、その集まりが正しい道徳や目的に基づいていることの重要性を強調し、「大牲を用うれば吉」と、大きな目的のためには、相応の努力や犠牲(大牲)を惜しまない覚悟が必要であると教えています。これらの条件が満たされれば、積極的に行動(往く攸有るに利し)して良いのです。

爻辞(こうじ)– 各爻(こう)が示す変化の機微と物語

初六(しょりく):

孚(まこと)有(あ)りて終(おわ)らず。乃(すなわ)ち乱(みだ)れ乃(すなわ)ち萃(あつ)まる。號(さけ)ぶが若(ごと)し、一握(いちあく)笑(わら)いを為(な)す。恤(うれ)うること勿(なか)れ。往(ゆ)けば咎(とが)なし。**

原文:有孚不終。乃亂乃萃。若號、一握為笑。勿恤。往无咎。

書き下し文:孚(ふ)有(あ)りて終(おわ)らざれば、乃(すなわち)乱(らん)し乃(すなわち)萃(すい)す。號(ごう)するが若(ごと)し、一握(いちあく)笑(しょう)を為(な)す。恤(うれ)うること勿(なか)れ。往(ゆ)けば咎(とが)なし。

現代語訳:真心はあるが、それが最後まで貫けない。そのため、時には混乱し、時には人々が集まろうとする。大声で助けを求めれば、ほんの少しの助けでも笑顔を取り戻せる。心配することはない。進んでいけば咎めはない。

ポイント解説:
「萃」の始まり。まだ人々の心が完全に一つになっておらず、誠意(孚)はあっても、それが一貫しないため、状況が混乱したり(乱し)、集まろうとしてもまとまらなかったり(萃す)します。しかし、そのような時に、もし誠実に助けを求めれば(號するが若し)、たとえ小さな助け(一握)であっても、状況は好転し、笑顔を取り戻せます(笑いを為す)。心配せずに(恤うること勿れ)、前向きに進んでいけば(往けば)、咎めはありません。初期の混乱期における、素直な協力要請の重要性を示しています。

六二(りくじ):

引(ひ)かれて吉(きち)。咎(とが)なし。孚(まこと)有(あ)らば乃(すなわち)禴(やく)を用(もち)うるに利(よろ)し。

原文:引吉。无咎。孚乃利用禴。

書き下し文:引(いん)すれば吉(きち)。咎(とが)なし。孚(ふ)あらば乃(すなわち)禴(やく)を用(もち)うるに利(よろ)し。

現代語訳:(中心となる人物に)引き寄せられて集まるのは吉である。咎めはない。真心があれば、簡素な夏の祭祀(禴)のような小さな真心の捧げものでも、十分に神意に通じる。

ポイント解説:
この爻は、中心となる九五の君主(大人)の徳に引かれて、人々が自然と集まってくる様を示しています。このような自然な形で引き寄せられて集う(引かれて吉)のは、非常に良いことです。そして、大切なのは真心(孚)であり、それがこもっていれば、たとえ質素な捧げもの(禴を用うる)であっても、その誠意は必ず通じ、良い結果をもたらします。真心と、良きリーダーへの信頼が鍵です。

六三(りくさん):

萃(あつ)まりて嗟(なげ)くが若(ごと)し。利(よろ)しき攸(ところ)なし。往(ゆ)けば咎(とが)なし、小(すこ)しく吝(りん)。

原文:萃如嗟如。无攸利。往无咎、小吝。

書き下し文:萃(すい)如(じょ)たり嗟如(さじょ)たり。利(よろ)しき攸(ところ)なし。往(ゆ)けば咎(とが)なし、小(すこ)しく吝(りん)。

現代語訳:人々が集まろうとするが、嘆き悲しんでいるようだ。これでは何の利益もない。しかし、(それでも進んでいけば)大きな咎めはないが、多少の困難や恥ずかしさは伴うだろう。

ポイント解説:
人々が集まろうとはしているものの、その集まりに喜びや熱意がなく、むしろ嘆きや不満(嗟如たり)が漂っている状態です。このような雰囲気では、何の利益も生まれません(利しき攸なし)。しかし、それでもなお、何とかしようと努力し、前進する(往けば)ならば、大きな失敗(咎なし)には至らないものの、やはり多少の困難や不快な思い(小しく吝)は避けられないでしょう。集まりの「質」や「雰囲気」の重要性を示しています。

九四(きゅうし):

大(おおい)に吉(きち)なれば、咎(とが)なし。

原文:大吉、无咎。

書き下し文:大(おお)いに吉(きち)なれば、咎(とが)なし。

現代語訳:非常に素晴らしく吉であれば、咎めはない。

ポイント解説:
九四は陽爻で大臣の位にあり、上の九五の君主を誠実に補佐し、人々の力を正しく結集させています。そのため、非常に大きな吉運(大吉)に恵まれ、何の咎めもありません。私心なく公に尽くし、多くの人々の力を正しい方向へ導く、優れた補佐役の姿です。

九五(きゅうご):

位(くらい)に萃(あつ)まる。咎(とが)なし。孚(まこと)に匪(あら)ず。元(げん)永(なが)く貞(てい)なれば、悔(くい)亡(ほろ)ぶ。

原文:萃有位。无咎。匪孚。元永貞、悔亡。

書き下し文:位(くらい)に萃(あつ)まる。咎(とが)なし。孚(まこと)に匪(あら)ずんば、元(げん)永(なが)く貞(てい)にして悔(くい)亡(ほろ)ぶ。

現代語訳:人々がその高い地位(君主の位)に集まってくる。それ自体は咎めではない。しかし、もし人々の信頼がまだ十分に得られていないならば、根本に立ち返り、永く正しい道を守り続けることで、後悔は消え去るだろう。

ポイント解説:
この卦の中心であり、君主の位です。人々はその地位や権威に引かれて集まってきます(位に萃まる)。それは自然なことであり、咎めではありません。しかし、もし人々の心からの信頼(孚)がまだ十分に確立されていないならば(孚に匪ずんば)、リーダーは改めて根本に立ち返り、大いなる徳と、永続する正しさ(元永く貞にして)をもって人々に接し続ける必要があります。そうすれば、やがては全ての後悔(悔)も消え去り、真の信頼に基づく集まりとなるでしょう。リーダーの徳と求心力が試される時です。

上六(じょうりく):

齎咨(せいし)涕洟(ていい)す。咎(とが)なし。

原文:齎咨涕洟。无咎。

書き下し文:齎咨(せいし)涕洟(ていい)す。咎(とが)なし。

現代語訳:ため息をつき、涙を流し、鼻水まで垂らしている。しかし、咎めはない。

ポイント解説:
「萃」の時の最終段階。もはや集まりの中心からは外れ、その盛大な集まりに加われなかったことを嘆き悲しんでいる(齎咨涕洟す)姿です。しかし、その悲しみや後悔は、誠実な心からのものであり、誰かを傷つけたり、輪を乱したりするものではないため、大きな咎めはありません。盛大な集まりの後には、このような寂しさや反省が伴うこともある、という人間的な側面を示しています。あるいは、集まりが終わり、解散していくことへの惜別の念とも解釈できます。

 

 

【沢地萃(たくちすい)の「彖伝」】

原文 彖曰。萃、聚也。順以說。剛中而應、故聚也。王假有廟、致孝享也。利見大人亨、聚以正也。用大牲吉、利有攸往、順天命也。觀其所聚、而天地萬物之情可見矣。

書き下し文 彖(たん)に曰(いわ)く、萃(すい)は、聚(しゅう)なり。順(じゅん)にして以(もっ)て説(よろこ)ぶ。剛中(ごうちゅう)にして應(おう)ず、故(ゆえ)に聚(あつ)まるなり。王(おう)廟(びょう)に假(いた)るとは、孝享(こうきょう)を致(いた)すなり。大人(たいじん)を見(み)て亨(とお)るに利(よろ)しとは、聚(あつ)まるに正(せい)を以(もっ)てすればなり。大牲(たいせい)を用(もち)いて吉(きち)、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よろ)しとは、天命(てんめい)に順(したが)えばなり。其(そ)の聚(あつ)まる所(ところ)を観(み)て、天地(てんち)万物(ばんぶつ)の情(じょう)は見(み)る可(べ)きなり。

現代語訳 彖伝は言う。萃とは、集まることである。(下の坤の)柔順な徳と、(上の兌の)喜悦の徳が合わさっている。(中心にいる)剛健中正なもの(九四と九五の陽爻)に、多くの柔順なものが応じている。だから、人々が集まるのである。「王が宗廟に詣でる」とあるのは、親への孝行の心を尽くし、祭祀を捧げるためである。「徳の高い大人に会って願いが通るのは良い」というのは、その集まりが正しさに基づいているからである。「盛大な供物を用いて吉であり、目的を持って進んでいくのが良い」というのは、それが天命に従うことだからである。その集まりが、何を目的として集まっているのかを観察すれば、天地万物の本質やありさまを見ることができるのである。

大象伝(たいしょうでん)– この卦の形から学ぶ、理想のあり方

原文(漢文):象曰。澤上于地、萃。君子以除戎器、戒不虞。

書き下し文:象(しょう)に曰(いわ)く、澤(さわ)地(ち)の上(うえ)に上(のぼ)るは萃(すい)なり。君子(くんし)以(もっ)て戎器(じゅうき)を除(おさ)め、不虞(ふぐ)を戒(いまし)む。

現代語訳:象伝は言う。沢が地の上にあり、水が集まっているのが萃の形である。君子(人格者)はこれに倣(なら)い、武器を整備し、予期せぬ事態に警戒する。

ポイント解説:
大地の上に沢の水が集まり、豊かな恵みをもたらしているのが「萃」の象徴です。しかし、水は時に溢れ、災害をもたらす危険性も孕んでいます。これを見た君子は、「戎器を除め、不虞を戒む」、つまり、多くの人々が集まり、物事が順調に進んでいる時であっても、決して油断せず、武器(戎器)を整備し、万が一の予期せぬ事態(不虞)に常に備え、警戒を怠らないことの重要性を学びます。繁栄の中にも、常に潜在的な危険への備えを忘れない、という賢明なリーダーの心得です。

【むすび】

沢地萃の卦は、わたしたちが他者と心を合わせ、共通の目的のために集い、そしてそこから大きな喜びと成果を生み出すための、温かくも力強い智慧を授けてくれます。

  • 1. あなたの「廟(びょう)」への動機は何ですか? – 共通の価値観や目的のもとに、心を一つに集まろう: 卦辞が「王廟に假る」と示すように、わたしたちが集う時には、その中心に据えるべき、皆が共感し、敬意を払えるような「共通の価値観」や「崇高な目的(廟)」を持つことが大切です。「日々新たに、益々よくなる」という理念もまた、わたしたちが目指すべき一つの素晴らしい「廟」と言えるでしょう。その旗印のもとに、多くの人々と心を一つにして集い、共に成長していく喜びを味わいましょう。
  • 2. 「孚(まこと)」あれば「禴(やく)を用うるに利し」 – 真心こそ、最高の捧げもの: 六二の爻が教えるように、人々と繋がる上で最も大切なのは、物質的な豊かさや才能の誇示ではなく、心からの「誠実さ(孚)」です。たとえささやかな行動(禴)であっても、そこに真心がこもっていれば、それは必ず相手の心に届き、深い信頼関係を育むでしょう。あらゆる人間関係もまた、この飾らない真心から始まるのです。
  • 3. 「戎器(じゅうき)を除(おさ)め、不虞(ふぐ)を戒(いまし)む」 – 好調な時こそ、感謝と備えの心を忘れずに: 大象伝の教えは、わたしたちが順調で喜びに満ちている時こそ、決して油断してはならないと警告しています。多くの人々が集い、物事がスムーズに進んでいる時にも、常に感謝の心を忘れず、そして万が一の予期せぬ事態(不虞)に備えて、心の準備(戎器を除める=問題解決能力や精神力を磨く)を怠らない。その賢明な慎重さが、わたしたちの歩みを、より確かなものにしてくれます。
  • 4. あなたも誰かの「大人(たいじん)」たれ – 導き、支え、共に成長する喜びを: 沢地萃の時は、優れたリーダー(大人)の存在が非常に重要です。わたしたち自身も、家庭で、職場で、あるいは友人関係の中で、誰かにとっての「大人」となり、その人を励まし、導き、支え、共に成長していく喜びを体験することができるのではないでしょうか。人を益することは、巡り巡って自分自身を豊かにする道なのです。

沢地萃の時は、わたしたちが孤独から解放され、多くの人々と喜びを分かち合い、共通の目的のために力を合わせる、素晴らしい「集いの時」です。真心と感謝、そして賢明な備えの心を胸に、わたしたちもまた、この地上に美しい「萃」の輪を広げ、共に豊かな実りを享受していきましょう。