【易】第22卦「山火賁(さんかひ)」– 内なる光で外を飾り、真実の美で彩る時
1. 卦象(かしょう): ䷕
2. 名称(めいしょう): 山火賁(さんかひ)
3.【この卦のメッセージ】
上卦:艮(ごん) – 山、止まる、篤実、静止
下卦:離(り) – 火、麗(つく)、明知、太陽、文明 *
全体のイメージ: 山の麓(ふもと)で、明るく燃え盛る火(離)。その火の光が、どっしりと静かに止まる山(艮)の姿を美しく照らし出し、その輪郭や色彩を鮮やかに浮かび上がらせている。この「山火賁」の姿は、まさに「飾り」「装飾」「美」そのものを象徴しています。「賁」という文字には、貝殻や草花で飾る、文様を施すといった意味があり、物事の表面を美しく整え、文化的な彩りを加えることの価値を示しています。 山の持つ本来の質実剛健な姿が、火の光という「飾り」によって、より一層その魅力や存在感を増すように、わたしたちの生活や社会もまた、適切な「飾り」や「形式」によって、より豊かで、より人間らしい深みを増していくのです。ただし、その飾りは、あくまで内なる本質を輝かせるためのものであるべきで、虚飾であってはならない、という含意もこの卦には込められています。
1. 卦辞(かじ)– この卦全体のテーマ**
原文(漢文):賁。亨。小利有攸往。
書き下し文: 賁(ひ)は亨(とお)る。小(すこ)しく往(ゆ)く攸(ところ)有るに利(よろ)し。
現代語訳: 賁(飾ること、美しく整えること)は、願いは(ある程度)通る。小さなことであれば、進んで行っても良い。
ポイント解説:
この卦辞は、「賁」すなわち物事を美しく飾ること、形を整えることには、それなりの効果があり、ある程度の成功(亨る)をもたらすことを認めています。そして、「小しく往く攸有るに利し」とは、文化的な活動や儀礼、あるいは日常生活におけるささやかな事柄など、「小さなこと」や「形式が重要なこと」においては、積極的に飾り立て、進めていくのが良い、という意味です。しかし、「大きな利」とは言っていない点に注意が必要です。これは、外見や形式(飾り)だけでは、人生の根本的な問題や大きな事業を成就させることは難しい、ということを示唆しています。美しさや形は大切だが、それが全てではない、というバランス感覚を教えています。
2. 爻辞(こうじ)– 各爻(こう)が示す変化の機微と物語
初九(しょきゅう):
其(そ)の趾(あし)を賁(かざ)る。車(くるま)を舎(お)きて徒(かち)たり。**
原文:賁其趾。舎車而徒。
書き下し文:其(そ)の趾(し)を賁(かざ)る。車(しゃ)を舎(お)きて徒(と)たり。
現代語訳:自分の足元を飾る。しかし、それは乗り物(車)を捨てて徒歩で行くようなもので、実質的な利益には繋がらない(あるいは、分相応な飾り方である)。
ポイント解説:
「賁」の始まり。まだ地位も実力も低い者が、自分の足元(最も低い部分)だけを飾ろうとする姿です。これは、見栄を張って自分を飾ろうとするが、実質が伴わないため、結局は乗り物(地位や実力)に頼らず、自分の足で地道に進むしかない、という状況を表します。あるいは、自分の身分相応のささやかな飾りであれば、咎めはないとも解釈できます。本質を見失った飾りへの戒め、または分相応の心得を示唆します。
六二(りくじ):
其(そ)の須(ひげ)を賁(かざ)る。
原文:賁其須。
書き下し文:其(そ)の須(しゅ)を賁(かざ)る。
現代語訳:自分の顎鬚(あごひげ)を飾る。
ポイント解説:
顎鬚は顔の一部であり、人の目につきやすい部分です。これを飾るということは、自分自身をより良く見せようとする行為ですが、六二は柔順中正の徳を持ち、すぐ上の九三(実力者)に従って行動する立場です。そのため、これは自分を飾るというよりは、九三の威光を借りて、あるいは九三を引き立てるために、自分を整えていると解釈できます。他者に従い、その人を引き立てることで、間接的に自分も飾られる、というあり方です。
九三(きゅうさん):
賁如(ひじょ)たり濡如(じゅじょ)たり。永(なが)く貞(てい)なれば吉(きち)。
原文:賁如濡如。永貞吉。
書き下し文:賁如(ひじょ)たり濡如(じゅじょ)たり。永(なが)く貞(ただ)しければ吉(きち)。
現代語訳:美しく飾られ、潤いと艶がある。この状態を長く正しく保てば吉である。
ポイント解説:
九三は下の離(火)の中心であり、最も美しく飾られ、輝いている状態です。「濡如」とは、潤いと艶があり、生き生きとした美しさを表します。この素晴らしい状態は、多くの人々を魅了しますが、同時に一時的な華やかさに溺れてしまう危険性も孕んでいます。だからこそ、「永く貞しければ吉」、つまり、その美しさや良い状態を、正しい道(貞)をもって長く保ち続ける努力が大切であると説いています。内面の充実が伴ってこそ、真の輝きは持続します。
六四(りくし):
賁如(ひじょ)たり皤如(はじょ)たり。白馬(はくば)翰如(かんじょ)たり。寇(あだ)に匪(あら)ず婚媾(こんこう)せんとす。
原文:賁如皤如。白馬翰如。匪寇婚媾。
書き下し文:賁如(ひじょ)たり皤如(はじょ)たり。白馬(はくば)翰如(かんじょ)たり。寇(あだ)に匪(あら)ず婚媾(こんこう)せんとす。
現代語訳:飾るべきか、あるいは質素であるべきか。白い馬が飛ぶようにやって来る。それは敵ではなく、結婚を申し込もうとする相手である(誠意をもって接すれば、疑いも晴れ、良い関係が結ばれる)。
ポイント解説:
この爻は、飾ることへの迷いや疑いがある状態を示します。「皤如」は白い、質素な様。「白馬翰如」は、誠実で純粋なものが、疑いを晴らして急速に近づいてくる象徴です。最初は警戒していた相手(寇に匪ず)も、実は誠意をもって良き関係(婚媾)を築こうとしているのかもしれません。外見やうわべの飾りに惑わされず、相手の真実の姿を見抜き、誠実さをもって応じることの重要性を示唆しています。
六五(りくご):
丘園(きゅうえん)に賁(かざ)る。束帛(そくはく)戔戔(せんせん)たり。吝(りん)なれども、終(つい)に吉(きち)。
原文:賁于丘園。束帛戔戔。吝、終吉。
書き下し文:丘園(きゅうえん)に賁(かざ)る。束帛(そくはく)戔戔(せんせん)たり。吝(りん)なれども、終(つい)には吉(きち)。
現代語訳:丘や庭園のような質素な場所を飾る。贈物としての絹の束もごくわずかである。最初は物足りなく思うかもしれないが、最終的には吉となる。
ポイント解説:
君主の位にありますが、華美な装飾ではなく、質素で実質的な飾り(丘園に賁る)を好む姿です。贈り物(束帛)も少なく、ケチだと思われる(吝)かもしれませんが、その誠実で実質を重んじる姿勢は、最終的には人々からの信頼を得て、良い結果(終に吉)をもたらします。見栄や虚飾を排し、本質的な豊かさを大切にすることの価値を示しています。
上九(じょうきゅう):
白賁(はくひ)。咎(とが)なし。
原文:白賁。无咎。
書き下し文:白賁(はくひ)。咎(とが)なし。
現代語訳:飾り気のない、ありのままの白い素地で飾る。咎めはない。
ポイント解説:
「賁」の極致。あらゆる飾りを取り去り、ありのままの、素朴で純粋な美しさ(白賁)に到達した境地です。これ以上飾る必要のない、完成された内面の美しさが、そのまま外に現れています。このような飾り気のない、本質的な美しさには、何の欠点もなく、咎めもありません。これこそが、「賁」の目指すべき最高のあり方であることを示唆しています。
3. 大象伝(たいしょうでん)– この卦の形から学ぶ、理想のあり方
原文(漢文):象曰。山下有火、賁。君子以明庶政、无敢折獄。
書き下し文: 象(しょう)に曰(いわ)く、山(やま)の下(した)に火(ひ)有(あ)るは賁(ひ)なり。君子(くんし)以(もっ)て庶政(しょせい)を明(あきら)かにし、敢(あえ)て獄(ごく)を折(さだ)むることなし。
現代語訳: 象伝は言う。山の麓で火が明るく照らしているのが賁の形である。君子(人格者)はこれに倣(なら)い、多くの日常的な政(まつりごと)を明らかにし、分かりやすくするが、人々の運命を左右するような重大な獄訟(訴訟や刑罰)を軽々しく断じてしまうことはしない。
ポイント解説:
山の麓の火が周囲を明るく照らし、物事を明らかにするように、君子はまず、日常の様々な政治や業務(庶政)を明確にし、透明性を高め、人々が理解しやすいように整えます。これは「飾り」の持つ「明らかにする」という側面です。しかし、その一方で、「敢て獄を折むることなし」、つまり、人の生死や運命に関わるような重大な判断(獄を折む)については、外見や形式、あるいは一時的な感情に流されることなく、極めて慎重に対処し、軽々しく断定を下すことはしない、という戒めです。美しさや明確さは大切だが、それ以上に本質的な真実や公平性が求められる場面では、最大の慎重さが必要であると教えています。
4. 【むすび】
山火賁の卦は、わたしたちが人生や日常を、どのように「美しく飾り」、そしてその「飾り」と「本質」をどのように調和させていくかという、洗練された智慧を授けてくれます。
山火賁の時は、わたしたちの美的感覚や、物事を整え明らかにする能力が試され、そして磨かれる時です。内なる誠実さと美意識をもって、わたしたち自身の人生を、そしてわたしたちの周りの世界を、より美しく、より豊かに「飾って」いく。その喜びと叡智が、わたしたちを、さらに輝かしいものにしてくれるでしょう。
