失われた「精神的ルーツ」を求めて
易経の起源は、紀元前2300年頃にまで遡ると言われています。およそ5000年もの時を超えて現存するこの書物は、人類の叡智の結晶であり、解き明かされていない多くの謎を秘めています。
現代社会は技術が発展し、物質的な豊かさを手に入れました。しかし、その一方で「何かが満たされない」という欠乏感を抱える人が増えています。それは、私たちが物質的な繁栄と引き換えに、精神的な「根っこ」を見失ってしまったからではないでしょうか。
易経は単なる占いの書ではありません。帝王学や哲学、そして精神性を高める修養の書でもあります。 私は、この易経の研究と普及を通じて、現代人が忘れかけている「心の羅針盤」を取り戻し、人類の意識の進化に貢献したいと強く願っています。
今回は、少し趣向を変えて、私たちのルーツである「縄文人」と「易経」の意外なつながりについて、直感的考察を巡らせてみたいと思います。
※本稿は学術的・考古学的な検証ではなく、筆者の直感に基づく推察であることをお断りしておきます。
縄文の記憶と陰陽のシンクロニシティ
世界史において「文明」が生まれるはるか以前、この日本列島では1万年以上もの長きにわたり「縄文時代」が続いていました。 私たちのDNAに深く刻まれている、この太古の記憶。彼らは自然を崇拝し、森羅万象と共存していました。
縄文遺跡から出土する遺物の中に、その精神性の高さを物語るものがあります。それが「勾玉(まがたま)」です。
勾玉のあの独特な形状を思い出してみてください。 それは、易経の根幹を成す「陰陽太極図(タオマーク)」の片割れ、陰と陽が抱き合う形に酷似していませんか?
ここから一つの推察が浮かび上がります。 もしかすると、言葉や文字としての「易経」が伝来するはるか以前から、縄文の人々は自然界の法則として「陰陽」の概念をすでに感得していたのではないか。 天・沢・火・雷・風・水・山・地という「八卦」の要素を、日々の営みの中で呼吸するように信仰していたのではないか――。
そう考えると、私たちが易経に触れた時に感じる不思議な懐かしさは、DNAレベルの共鳴なのかもしれません。
「縄」が繋ぐミステリー ~結縄と縄文土器~
縄文時代は、未だ多くの謎に包まれています。 そもそも「縄文」という名は、土器に施された「縄の模様」に由来します。なぜ、彼らはこれほどまでに執拗に、土器に縄の跡を残したのでしょうか?
ここで、易経にある興味深い記述をご紹介します。 『繫辞下伝(けいじかでん)』第二章には、次のような一節があります。
「上古は縄を結びて治まり、後世聖人これに易うるに書契(文字)をもってす」 (大昔は、縄を結ぶことで記録とし、政治を行っていた。後の世に、文字が発明されてこれに取って代わった)
これは「結縄(けつじょう)」と呼ばれる記録方法です。古代インカ帝国の「キープ(結び目による記録)」と同様に、かつて人類は「紐の結び目」を言語や契約の証としていました。
もし、縄文土器のあの「縄目」が、単なる装飾ではなかったとしたら? 誰かとの契約、約束、あるいは祈りの記録として、縄(結び目)を土器に押し付け、焼き付けることで永遠に残そうとしたのではないか。
「縄」を重要視する縄文文化と、「縄を結んで治めていた」と記す易経の伝承。 この二つが、私の頭の中で鮮やかにリンクするのです。
むすび:最古にして最先端の叡智
易経は、東洋思想の源流です。 現代の物質社会では日の目を見ないこともありますが、量子力学などの最先端科学が、易経の示す世界観(二元論を超えた世界)に接近しつつある今、その価値は再評価されるべき時を迎えています。
易経は「最も古い」と同時に、常に「最も新しい」のです。
そして、日本語という言語の特殊性もまた、易経的な感性と深く結びついているように感じます。 縄文という精神の土壌があったからこそ、日本人は易経を深く受け入れ、独自の文化へと昇華できたのかもしれません。
このブログを通じて、一人でも多くの方が易経に触れ、東洋の叡智のルーツに思いを馳せていただければ幸いです。 東洋から始まる、次の「精神の時代」を、共に拓いていきましょう。

