〜「静寂」という最強の充電器にプラグを差す〜
1. 原文(漢文)
致虛極,守靜篤。 萬物並作,吾以觀復。
夫物芸芸,各復歸其根。 歸根曰靜,是謂復命。 復命曰常,知常曰明。
不知常,妄作凶。 知常容,容乃公,公乃王,王乃天,天乃道,道乃久,沒身不殆。
2. 書き下し文
虚(きょ)を致(いた)すこと極(きわ)まり、静(せい)を守(まも)ること篤(あつ)し。 万物(ばんぶつ)並(なら)び作(おこ)るも、吾(われ)以(もっ)て復(かえ)るを観(み)る。
夫(そ)れ物(もの)は芸芸(うんうん)たるも、各〻(おのおの)其(そ)の根(ね)に復帰(ふっき)す。 根に帰(かえ)るを静(せい)と曰(い)い、是(これ)を復命(ふくめい)と謂(い)う。 復命を常(じょう)と曰い、常を知(し)るを明(めい)と曰う。
常を知らざれば、妄作(もうさく)して凶(きょう)なり。 常を知れば容(よう)なり、容なれば乃(すなわ)ち公(こう)、公なれば乃ち王(おう)、王なれば乃ち天(てん)、天なれば乃ち道(どう)、道なれば乃ち久(ひさ)しく、身(み)を没(ぼっ)するまで殆(あやう)からず。
3. 現代語訳
心を空っぽにしてその極みに達し、静けさをどこまでも守り抜きます。 世の中のあらゆる物事が一斉に活動し、成長していますが、私はそれらが(結局は元の場所へ)帰っていく様子をじっと観察します。
すべてのものは、どんなに茂り栄えても(芸芸)、最後にはそれぞれの根っこへ帰っていくのです。 根っこへ帰ることを「静(静寂)」と言います。 静寂に戻ることは、本来の命(天命・本質)に立ち返ることであり、これを「復命」と言います。
命に立ち返ることは、変わらない法則(宇宙のルール)であり、これを「常」と言います。 この変わらない法則を知っていることを、「明(あきらか=悟り)」と言うのです。
逆に、この法則を知らないと、デタラメに動いてしまい、災いを引き起こします。 法則を知っていれば、すべてを受け入れる広い心(容)が生まれます。 広い心を持てば、公平(公)になれます。公平であれば、王のような徳が備わります。王のようであれば、天と一体になれます。天と一体になれば、道(タオ)そのものになれます。 道そのものになれば、永遠(久)に存在し続け、肉体が滅びても、その魂や功績が危うくなることはありません。
4. ポイント解説
第十六章は、私たちが日々のストレスや変化に押しつぶされず、「無限のスタミナ」を手に入れるためのエネルギー循環の教えです。
誰にとっても共通する、人生を根底から安定させる3つのステップは以下の通りです。
① 意識的に「オフ」にする時間を持つ(帰根)
「芸芸(うんうん)」とは、草木がワサワサと茂る様子、つまり現代人の忙しい日常のことです。 私たちは常に「オン」の状態ですが、それでは根が休まりません。 「益々よくなる」ためには、一日の終わりに必ず「根に帰る(リセットする)」儀式が必要です。
スマホを置き、目を閉じ、情報を遮断し、ただ静寂の中に身を置く。 「静けさ」は、退屈な時間ではなく、「命の充電(復命)」の時間です。この帰還があるからこそ、翌日また力強く枝葉を伸ばせるのです。
② 「変わらない法則」を知る(知常)
世の中は常に変化します。株価も、流行も、人の心も変わります。 これらに一喜一憂して振り回されることを、老子は「妄作(デタラメな動き)して凶」と警告します。
しかし、変化の中にも「変わらない法則(常)」があります。 「上がれば下がる」「朝が来れば夜が来る」「生じれば滅する」。 このサイクルを知っていれば、悪いことが起きても「今は夜なだけだ、やがて朝が来る」と落ち着いていられます。 「パニックにならないこと」。 それが「明(さとった人)」の証です。
③ 静寂が「器」を大きくする(容→公→王)
ここが非常に面白いところですが、老子は「静かになれば、王になれる」と言っています。 自分の根っこ(静寂)に繋がり、法則(常)を理解した人は、心に余裕が生まれます。 余裕があるから、他人の失敗や異なる意見を「受け入れる(容)」ことができます。 受け入れるから、私利私欲がなくなり「公平(公)」になれます。 その公平で堂々とした態度は、周囲から自然とリーダー(王)として仰がれるようになります。
カリスマ性とは、激しさではなく、深い静寂から生まれるのです。

