【易経】第38卦「火沢睽(かたくけい)」– 対立の中にこそ光る個性、違いを越えての調和へ
1. 卦象(かしょう): ䷥
2. 名称(めいしょう): 火沢睽(かたくけい)
3. 【この卦のメッセージ】
上卦(じょうか):離(り) – 火、麗(つく)、明知、太陽、中女 *
下卦(かか):兌(だ) – 沢、喜び、悦楽、少女、口 *
全体のイメージ: 上にある火(離)はその性質として上昇し、下にある沢(兌)の水はその性質として下降しようとする。このように、火と沢という二つの要素が、互いに異なる方向を向き、その性質が相容れない「対立」や「不調和」の状態を象徴しているのが「火沢睽」です。「睽」という文字は、二つの目が互いにそっぽを向いている形を表し、「そむく」「反目する」「食い違う」といった意味合いを持ちます。 また、上卦の離は中女、下卦の兌は少女を表し、同じ家に二人の女性がいても、その意向や性質が異なり、うまくいかない家庭内の不和のような状況にも喩えられます。しかし、この卦は単に不和や対立を凶とするだけでなく、そのような状況の中で、いかにして小さな共通点を見つけ出し、違いを認め合いながらも共存していくか、その智慧を探ることをわたしたちに促しています。
卦辞(かじ)– この卦全体のテーマ
原文(漢文):睽。小事吉。
書き下し文:睽(けい)は小事(しょうじ)には吉(きち)。
現代語訳:睽(互いにそむき合い、不調和な時)は、大きな事柄においては難しいが、小さな事柄においては吉である。
ポイント解説:
この卦辞は、「睽」の時が、根本的な対立や大きな目標の共有が難しい状況であることを率直に認めています。そのため、国家的な大事業や、全員の完全な一致を必要とするような大きな事柄においては、成功は期待できません。しかし、「小事には吉」とあるように、日常的な小さな事柄や、限定的な範囲での協力、あるいは個人的なレベルでのささやかな目標達成などにおいては、意外にも良い結果が得られる可能性があることを示唆しています。大きな不調和の中にあっても、小さな部分での調和や共通点を見つけ出し、そこから関係を改善していくことの重要性を示しています。
爻辞(こうじ)– 各爻(こう)が示す変化の機微と物語
初九(しょきゅう):
悔(くい)亡(ほろ)ぶ。馬(うま)を喪(うしな)うも逐(お)うこと勿(なか)れ、自(おのずか)ら復(かえ)る。惡人(あくにん)を見(み)るも咎(とが)なし。
原文:悔亡。喪馬勿逐、自復。見惡人无咎。
書き下し文:悔(くい)亡(ほろ)ぶ。馬(うま)を喪(うしな)うも逐(お)うこと勿(なか)れ、自(おのずか)ら復(かえ)る。惡人(あくにん)を見(み)るも咎(とが)なし。
現代語訳:後悔はなくなる。馬を失っても、無理に追いかけるな、自然と帰ってくる。好ましくない人物に会っても、(賢明に対処すれば)咎めはない。
ポイント解説:
「睽」の始まり。誤解や対立が生じやすい時ですが、この爻では、無理に行動を起こさなければ、後悔は自然と消えていくと教えています。大切なもの(馬)を失っても、焦って追いかけず、自然の成り行きに任せれば、いずれ戻ってくるかもしれません。また、好ましくない人物(惡人)に遭遇しても、深入りせず、賢明に距離を置けば、咎めを受けることはありません。焦らず、自然体でいることの重要性を示しています。
九二(きゅうじ):
巷(ちまた)に主(しゅ)に遇(あ)う。咎(とが)なし。
原文:遇主于巷。无咎。
書き下し文:巷(こう)に主(しゅ)に遇(あ)う。咎(とが)なし。
現代語訳:思いがけず、路地裏のような場所で、理解し合える相手(主)に出会う。咎めはない。
ポイント解説:
対立や不和の中にあっても、予期せぬ場所や形で、自分を理解してくれる人や、協力し合える相手(主)との出会いがあることを示しています。「巷」とは、表通りではない、目立たない場所の比喩。公式な場ではなく、プライベートな、あるいは偶然の出会いの中に、関係改善のきっかけが潜んでいるかもしれません。心を開いていれば、咎なく良い方向へ進めます。
六三(りくさん):
輿(くるま)の曳(ひ)かるるを見(み)、其(そ)の牛(うし)掣(ひきとど)めらる。其(そ)の人(ひと)天(てん)し且(か)つ劓(はなき)らる。初(はじめ)有(あ)らざれども終(おわり)有(あ)り。
原文:見輿曳、其牛掣。其人天且劓。无初有終。
書き下し文:輿(よ)の曳(ひ)かるるを見(み)、其(そ)の牛(ぎゅう)掣(せい)せらる。其(そ)の人(ひと)天(てん)し且(か)つ劓(ぎ)せらる。初(はじめ)无(な)くして終(おわり)有(あ)り。
現代語訳:車が後ろに引かれ、それを引く牛も進むのを止められているのを見る。その人は(疑われて)額に入れ墨をされ、鼻をそがれるような屈辱を受ける。最初は非常に困難で良いことはないが、最終的には救われる。
ポイント解説:
この爻は、深刻な誤解や妨害によって、物事が全く進まず、屈辱的な状況に置かれることを示しています。「天し且つ劓らる」とは、無実の罪を着せられるような、非常に厳しい仕打ちです。しかし、「初め无くして終り有り」とは、最初は絶望的な状況であっても、誠実さを失わず耐え忍べば、やがて必ず理解され、救われる時が来るという、かすかな希望の光を示しています。
九四(きゅうし):
睽(けい)して孤(こ)なり。元夫(げんぷ)に遇(あ)い、孚(まこと)を交(か)わす。厲(あやう)うけれども咎(とが)なし。
原文:睽孤。遇元夫。交孚、厲无咎。
書き下し文:睽(けい)して孤(こ)なり。元夫(げんぷ)に遇(あ)い、孚(まこと)を交(か)わす。厲(あやう)うけれども咎(とが)なし。
現代語訳:周囲とそむき合い、孤立している。しかし、本来協力すべき誠実な相手(元夫)に出会い、互いに真心をもって交わる。危うさは伴うが、咎めはない。
ポイント解説:
周囲との不和によって孤立(睽孤)し、困難な状況にあります。しかし、そのような中で、本当に信頼できる誠実な相手(元夫)と出会い、互いに心を開いて真実の交流(孚を交わす)をするならば、たとえ状況が依然として危うくても(厲うけれども)、大きな過ち(咎なし)を犯すことなく、道を切り拓いていくことができます。困難な時こそ、真の絆が試され、そしてその価値が輝くのです。
六五(りくご):
悔(くい)亡(ほろ)ぶ。厥(そ)の宗(そう)膚(はだえ)を噬(か)む。往(ゆ)きて何(なん)の咎(とが)あらん。
原文:悔亡。厥宗噬膚。往何咎。
書き下し文:悔(くい)亡(ほろ)ぶ。厥(そ)の宗(そう)膚(ふ)を噬(か)む。往(ゆ)きて何(なん)の咎(とが)あらん。
現代語訳:後悔は消え去る。その一族の者が、まるで皮膚を噛むように(親密に)協力してくれる。進んでいって何の咎めがあろうか。
ポイント解説:
これまでの不和や誤解が解け、後悔がなくなる時です。「厥の宗膚を噬む」とは、同じ一族の者が、非常に親密に、まるで自分の肌を噛むように(つまり、一心同体となって)協力してくれる様を表します。このように強い信頼と協力関係があれば、ためらわずに前進して(往きて)、何の咎めもありません。困難を乗り越え、深い絆で結ばれた仲間と共に、新たな道を開いていくことができるでしょう。
上九(じょうきゅう):
睽(けい)して孤(こ)なり。豕(いのこ)の塗(どろ)を負(お)うを見(み)、鬼(き)一車(いっしゃ)を載(の)す。先(さき)には之(これ)を弧(こ)を張(は)り、後(のち)には之(これ)が弧(こ)を説(と)く。寇(あだ)に匪(あら)ず、婚媾(こんこう)せんとす。往(ゆ)きて雨(あめ)に遇(あ)えば則(すなわち)吉(きち)。
原文:睽孤。見豕負塗、載鬼一車。先張之弧、後説之弧。匪寇婚媾。往遇雨則吉。
書き下し文:睽(けい)して孤(こ)なり。豕(し)の塗(と)を負(お)うを見(み)、鬼(き)一車(いっしゃ)を載(の)す。先(さき)には之(これ)に弧(こ)を張(は)り、後(のち)には之(これ)が弧(こ)を説(と)く。寇(あだ)に匪(あら)ず、婚媾(こんこう)せんとす。往(ゆ)きて雨(あめ)に遇(あ)えば則(すなわち)吉(きち)。
現代語訳:周囲とそむき合い、孤立している。泥にまみれた豚や、鬼を満載した車を見る(疑心暗鬼から、ありもしない敵意を感じる)。最初は弓を引き絞って警戒するが、やがてそれが誤解であったと気づき、弓を解く。相手は敵ではなく、結婚を申し込もうとする者であった。進んでいって恵みの雨(和解や祝福)に遇えば、吉である。
ポイント解説:
「睽」の極点。疑心暗鬼から、相手を誤解し、敵意を抱いてしまう(豕の塗を負うを見、鬼一車を載す)状況です。しかし、やがてそれが自分の誤解であったことに気づき、警戒心を解き(弧を説く)、相手の真意(寇に匪ず、婚媾せんとす)を理解します。このように、たとえ深い誤解や対立があっても、誠意をもって向き合い、誤解が解ければ、最後には雨降って地固まるように、より深い理解と調和(雨に遇えば則ち吉)がもたらされるという、希望に満ちた結末です。
大象伝(たいしょうでん)– この卦の形から学ぶ、理想のあり方
原文(漢文):象曰。上火下澤、睽。君子以同而異。
書き下し文:象(しょう)に曰(いわ)く、上(うえ)は火(ひ)下(した)は澤(さわ)なるは睽(けい)なり。君子(くんし)以(もっ)て同(おな)じくして而(しか)も異(こと)にす。
現代語訳:象伝は言う。上に火があり、下に沢があって、互いに性質が異なるのが睽の形である。君子(人格者)はこれに倣(なら)い、人々と協調しながらも(同)、自己の個性や見識を失わない(異にす)。
ポイント解説:
火は上に燃え上がり、沢の水は下に潤す。その性質は異なりますが、それぞれが独自の役割を果たしています。これを見た君子は、「同而して異にす」、つまり、社会や集団の中にあっては、人々と共通の目的のために協調し(同)、和を大切にしながらも、決して自分自身の個性や、正しいと信じる見識(異)を失わず、安易に周囲に迎合しない、という非常に高度なバランス感覚を学びます。多様性を認め合い、それぞれの個性を尊重しながら、全体として調和していくことの重要性を示しています。
【むすび】
火沢睽の卦は、わたしたちが避けられない「対立」や「不調和」という状況の中で、いかにして自己を見失わず、他者を理解し、そしてそこから新たな調和や成長を生み出していくかという、深い人間的智慧を授けてくれます。
- 1. 「小事(しょうじ)には吉(きち)」 – 大きな対立の中にも、小さな「共通点」や「協力できること」を見つけよう: 意見が真っ向から対立し、大きな目標での一致が難しい時でも、卦辞が教えるように、「小さな事柄」においては、意外な共通点や協力できる部分が見つかるかもしれません。
まずは、その小さな接点を見つけ出し、そこから少しずつ理解と信頼の糸を紡いでいく、粘り強さと柔軟性が大切です。 - 2. 「同(おな)じくして而(しか)も異(こと)にす」 – あなたの「個性」と「和」の、美しい調和を目指そう: 大象伝の教えは、わたしたちが社会や集団の中で生きる上で、非常に重要な指針を与えてくれます。周囲と協調し、和を大切にしながらも、決して自分自身の良心や、大切にしたい価値観、ユニークな個性を押し殺す必要はありません。
自分らしさを輝かせながら、同時に他者とも調和していく、その美しいバランスを追求していく道なのです。 - 3. 「馬(うま)を喪(うしな)うも逐(お)うこと勿(なか)れ、自(おのずか)ら復(かえ)る」 – 時には、流れに任せる勇気も必要: 初九の爻が示すように、誤解や行き違いが生じた時、焦って相手を追いかけたり、無理に説得しようとしたりするよりも、時には距離を置き、自然な解決や相手の気持ちの変化を待つことも、有効な場合があります。全てを自分でコントロールしようとせず、大きな流れを信頼する。そのゆとりが、かえって事態を好転させることもあるのです。
- 4. 「寇(あだ)に匪(あら)ず、婚媾(こんこう)せんとす」 – 疑いの目ではなく、理解の心で相手を見つめ直す: 上九の爻が劇的に示すように、わたしたちが「敵だ」「悪意がある」と思い込んでいる相手も、実は深い誤解からそう見えているだけで、本当は良き関係を築きたいと願っているのかもしれません。
一度立ち止まり、自分の先入観や疑いのフィルターを外し、相手の真意を理解しようと努める、その謙虚で誠実な姿勢が、思いがけない和解や新しい絆を生み出すことがあります。
火沢睽の時は、わたしたちのコミュニケーション能力、他者への理解力、そして何よりも自分自身の内なる軸の強さが試される時です。しかし、この卦は決して悲観的なものではありません。むしろ、違いを乗り越え、誤解を解き、そして多様な個性が響き合うことで生まれる、より深く、より豊かな調和の可能性を、わたしたちに力強く示してくれているのです。この試練の時を、大きな飛躍の機会として、知恵と勇気、そして愛をもって進んでいきましょう。