第1章|忘れ去られた都市の秘密
とある場所に「幻の都市エルドラアト」と呼ばれる地域が存在していた。
地図には記されず、歴史書にも詳細は残っていない。
けれど、その地に住んでいた人々のあいだには確かにこう語り継がれていた。
「その街には、街は笑顔にあふれ、どこよりも活発な都市」と。
この都市の繁栄の理由には、奇妙な一つの石板に刻まれた黄金の文字があったという。
古くも美しい文字で、こう記されていた。 「毎日、わたしはよくなる」 これを心を込めて、1日の始まりと終わり二十回唱えるべし。
これだけだった。 解説も注釈もない。 それでも人々は、この言葉を大切にして、毎日この「黄金の知恵」を実践していた。
石板は代々伝わり、人から人へと静かに継がれていった。
やがて都市は姿を消し、その石板も時の彼方へと忘れられていった。
第2章|ひとりの青年、アズアヒ
昔エルドラアトの西門があった場所の近くに、アズアヒという名の青年が住んでいた。
彼は特別な才能があるわけでも、豪奢な家に生まれたわけでもなかった。
だが、静かに、誠実に生きていた。
市場で働き、家族があり、忙しい人生を送っていた。
彼の心には常に、「わたしは何者にもなれないのではないか」という考えがあった。
そんなある晩のこと、アズアヒは、街の古塔で老いた賢者に出会う。
賢者は問うた。
「お前の心は、いま何を思う?」
アズアヒは言葉に詰まりながらも答えた。
「未来を思うたび、胸が詰まり、過去を思い返しては、恥じ入るばかりです。」
賢者はそれを聞いてうなずき、こう言った。
「ならば、ひとつ秘密を授けよう。お前にこそふさわしい、
かつて黄金郷といわれた場所にはの知恵があった。」
第3章|黄金の石板
賢者が差し出したのは、掌におさまるほどの石板に文字が刻まれているものだった。
その表面には、たった一文が刻まれていた。
「毎日、あらゆる面で、わたしはますますよくなる」
「これは、心を整え、道を開く“ことばの種子”だ」と、賢者は語った。
「この言葉を、寝る前と起きたとき、心をこめて二十回唱えるのだ。
それができる者には、必ず“変化”が訪れる。」
アズアヒは半信半疑ながらも、石板の文字をなぞってみて声に出した。
その言葉を唱えると、不思議な安心感を感じた。
第4章|ことばの種を育てる日々
翌朝、街の鐘が鳴る前に目覚めたアズアヒは、賢者に言われたことを思い出し、そっと言葉を唱えた。
「毎日、あらゆる面で、わたしはますますよくなる。」
「毎日、あらゆる面で、わたしはますますよくなる。」……
その響きは、空気の粒を静かに揺らすようだった。
最初の数日は、何も変わらなかった。
だが、一週間が経つ頃、アズアヒの中にわずかな変化が芽吹いた。
- 朝の目覚めが軽くなり、
- 人々に声をかけるとき、自然と笑みが出るようになり、
- 忙しい市場のなかでも心が乱れず、静けさを保てるようになっていた。
彼自身がそれに気づいたわけではなかったが、
周囲の人々が、いつしか彼を「よい気配を持つ男」と思うようになっていった。
第5章|都市を照らすもの
数ヶ月が過ぎた頃、アズアヒの身の回りには小さな変化が広がっていた。
- 誰かが落とした果物を、知らない人が拾って届ける。
- 壁に落書きされていた場所に、誰かが詩を書いて残す。
- 子どもたちは遊びながら、アズアヒの言葉を変えてまねるようになっていた。
「毎日、あらゆる面で、わたしはますますよくなる」その言葉は、彼一人のものではなくなっていた。
都市全体の空気が、どこかやさしく、澄んでいた。
第6章|静かな繁栄
月日が経つにつれ、アズアヒの唱えていた言葉は、
都市全体の空気となり、習慣となり、やがて文化になっていった。
市場では、朝の挨拶のように「毎日、わたしたちは、ますますよくなっている」
という思いを伝え合って、地域は成長し、人々は支え合っていた。
工房では、職人たちがものづくりの始まりにこの言葉を唱え、
皆が腕を競い合い、商品の品質は向上していった。
学舎では、子どもたちが筆を持って、この文を何度も書き写した。
その言葉は、その都市の常識となりスローガンになった。
いつしか、街のあちこちにその言葉を刻んだ碑が建てられ、
そのまちにはいつも、どこかしらにその声が響いていた。
ある日、アズアヒが朝の広場に立っていると、見知らぬ老人が話しかけてきた。
「そなたの言葉が、この街を変えたのだな」アズアヒは静かに首を横に振った。
「いいえ。言葉の中にある意思が、わたしたち自身をよりよくしたのです。」
老人は微笑み、空を見上げた。
そこには、ただの青空ではなく、
穏やかな祈りのような、静けさに満ちた空間が広がっていた。
その夜、街の広場では、
灯火を囲みながら、人々が小さく唱えていた。
「毎日、あらゆる面で、わたしはよくなる」
「わたしたちは、日々新たに、益々よくなる」
その声は風に乗り、夜空の星々にまで届いていた。
第7章|時を越えて伝わることば
街の人々は、意思の力を「石」に刻んだ。
石という形あるものに、言葉の意志を刻むことで、
不滅のものにしていった。
この意思でできた都市は、生まれた子どもに名前を贈るように、
人々が普段かける言葉もまた「贈りもの」として伝えられた。
父は子に、師は弟子に、旅人は見知らぬ誰かに大切なアイディアを繋いだ。
「毎日、わたしたちは、益々よくなる」
この言葉は、道具や貨幣よりも尊く、
日常の中にそっと差し出される「祝福」だった。
そして、その意思は街の外へと、ゆっくりと、確かに広がっていった。