【易の叡智 第8卦】「水地比(すいちひ)」– 心と心を寄せ合い、共に喜びを分かち合う時

1. 卦象(かしょう): ䷇
2. 名称(めいしょう): 水地比(すいちひ)
3. 【この卦のメッセージ】
上卦(じょうか):坎(かん) – 水、険難、陥る、悩み、内なる誠
下卦(かか):坤(こん) – 地、受容、柔順、母性、大衆
全体のイメージ:広大な大地(坤)の上に、水(坎)がゆったりと流れている。この「水地比」の姿は、水が自然と大地に染み込み、大地を潤し、そして大地もまたその水を受け止め、支えるように、人や物が互いに親しみ合い、引き寄せ合い、そして調和している状態を象徴しています。「比」という文字は、二人の人間が寄り添い並んでいる形を表し、「親しむ」「比肩する」「協力する」といった意味合いを持ちます。 水は低いところへと自然に集まり、大地はそれを拒むことなく受け入れる。このように、無理なく、自然な形で人々が結びつき、互いに助け合い、一つの共同体を形成していく、温かく安定した人間関係の理想像がここに描かれています。
1. 卦辞(かじ)– この卦全体のテーマ
原文(漢文): 比。吉。原筮、元永貞。无咎。不寧方來。後夫凶。
書き下し文: 比(ひ)は吉(きち)。原(あらた)めて筮(ぜい)し、元(げん)にして永(なが)く貞(ただ)しければ咎(とが)なし。寧(やす)からざる者(もの)方(まさ)に来(きた)る。後(おく)るる夫(おっと)は凶(きょう)。
現代語訳: 比(親しみ合うこと)は吉である。ただし、改めてその交わりの本質を問い、根本に大いなる徳があり、永く正しく道を続けるならば、咎めはない。今まで不安の中にいた者たちも、この調和を求めてやって来るだろう。しかし、時機を逸して遅れてやって来る者は、凶運に見舞われる。
ポイント解説:**
「比」の時は、基本的に吉運であり、人々が親しみ合い、協力し合うことの素晴らしさを示しています。しかし、その交わりが真に良いものであるためには、「原筮(改めてその本質を問い正す)」こと、そしてその関係の根底に「元永貞(大いなる徳・永続性・正しさ)」があることが不可欠です。そのような本質的な絆であれば、咎めはなく、これまで不安の中にいた人々(不寧方)も、その調和を求めて自然と集まってきます。ただし、この好機に乗り遅れたり、不純な動機で後から加わろうとしたりする者(後夫)には、良い結果は訪れません。交わりの質とタイミングの重要性を示唆しています。
2. 爻辞(こうじ)– 各爻(こう)が示す変化の機微と物語
初爻:
孚(まこと)有りて之(これ)に比(した)しむ。咎(とが)なし。孚(まこと)缶(ほとぎ)に盈(み)つれば、終(つい)に他(ほか)の吉(きち)有(あ)り。**
原文:有孚比之。无咎。有孚盈缶。終來有他吉。
書き下し文:孚(まこと)有(あ)りて之(これ)に比(ひ)す。咎(とが)なし。孚(まこと)缶(ふ)に盈(み)つれば、終(つい)には他(ほか)の吉(きち)有(あ)り。
現代語訳:誠実な心をもって人々と親しみ交わる。そうすれば咎めはない。その誠実さが、まるで土器に満ちる水のように溢れ出るならば、最後には予期せぬ他の吉事も訪れるだろう。
ポイント解説:
人と交わる最初の段階。最も大切なのは、内なる誠実さ(孚)です。真心をもって相手に接し、信頼関係を築くならば、何の咎めもありません。その誠実さが純粋で豊か(缶に盈つる)であれば、その関係からさらに発展して、思いがけない幸運(他の吉)がもたらされるでしょう。全ての良き人間関係は、まず真心から始まるのです。
二爻:
内(うち)より之(これ)に比(した)しむ。貞(てい)なれば吉(きち)。
原文:比之自内。貞吉。
書き下し文:内(うち)より之(これ)に比(ひ)す。貞(てい)なれば吉(きち)。
現代語訳:内面からの誠実さをもって人々と親しみ交わる。正しい道を守れば吉である。
ポイント解説:
二爻は柔順中正の徳を備え、この卦の中心である九五(君主)と正しく応じています。これは、表面的な付き合いではなく、心の内側からの真摯な気持ち(内より之に比す)で、中心となる人物や理念に引き寄せられ、交わっている状態です。このような純粋な動機に基づく交わりは、正しい道(貞)を守り続ける限り、必ず良い結果(吉)をもたらします。
三爻:
之(これ)に比(した)しむに人(ひと)に匪(あら)ず。
原文:比之匪人。
書き下し文:之(これ)に比(ひ)するに人(ひと)に匪(あら)ず。
現代語訳:親しみ交わろうとしている相手が、ふさわしくない人物である。
ポイント解説:
この爻は、交わる相手を間違えている危険性を示唆しています。親しくすべきではない、不誠実であったり、自分にとって良くない影響を与えるような人物(人に匪ず)と交わろうとしているかもしれません。このような関係は、結局自分自身を傷つけたり、道を踏み外したりする原因となります。誰と交わるか、その相手を慎重に見極めることの重要性を警告しています。
四爻:
外(そと)も亦(また)之(これ)に比(した)しむ。貞(てい)なれば吉(きち)。**
原文:外比之。貞吉。
書き下し文:外(そと)も亦(また)之(これ)に比(ひ)す。貞(てい)なれば吉(きち)。
現代語訳:外部の人々とも広く親しみ交わる。正しい道を守れば吉である。
ポイント解説:
六四は大臣の位にあり、中心である九五(君主)に誠実に仕え、さらに外部の人々とも積極的に友好関係を築こうとしています。内だけでなく、外にも目を向け、広く人々と良好な関係を築くこと(外も亦之に比す)は、正しい道(貞)にかなっていれば、吉運をもたらします。視野を広げ、多くの人々との調和を大切にする姿勢が求められます。
五爻:
比(ひ)を顕(あらわ)す。王(おう)三驅(さんく)を用(もち)い、前禽(ぜんきん)を失(うしな)う。邑人(ゆうじん)誡(いまし)められず。吉(きち)。
原文:顯比。王用三驅、失前禽。邑人不誡。吉。
書き下し文:比(ひ)を顕(あらわ)す。王(おう)三驅(さんく)を用(もち)い、前禽(ぜんきん)を失(うしな)う。邑人(ゆうじん)誡(いまし)められず。吉(きち)。
現代語訳:親しみ交わる道を公明正大に示す。王が狩りをする際に三方から獣を追い込み、前方の一方を開けて逃がすように、無理強いはしない。領民も王の寛大さを理解し、警戒することはない。吉である。
ポイント解説:
この卦の中心であり、人々が親しみ集うべき理想的なリーダー(王)の姿です。その交わり方は公明正大(比を顕す)であり、人々を力で縛り付けるのではなく、自由な意志を尊重し、来る者は拒まず、去る者は追わずという寛大な態度(三驅を用い、前禽を失う)で接します。このようなリーダーのもとでは、人々も安心して心を開き、自然と集まってくる(邑人誡められず)ため、大きな吉が得られます。真の求心力とは、寛容さと自由の中にあることを示しています。
上爻:
之(これ)に比(した)しむに首(こうべ)なし。凶(きょう)。
原文:比之无首。凶。
書き下し文:之(これ)に比(ひ)するに首(はじめ)なし。凶(きょう)。
現代語訳:親しみ交わろうとするのに、確かな始まりや中心がない。凶である。
ポイント解説:
「比」の時の最終段階ですが、ここでは良い交わりが成立していません。「首なし」とは、交わりの始まり(初六の孚)がしっかりしていなかったり、中心となるべき徳のある人物(九五)がいなかったり、あるいは交わる目的が曖昧であったりすることを意味します。しっかりとした基盤や目的のない、ただ何となく集まっているだけの関係は、結局は長続きせず、良い結果(凶)をもたらしません。交わりの本質を見失うことへの戒めです。
3. 大象伝(たいしょうでん)– この卦の形から学ぶ、理想のあり方
原文(漢文):象曰。地上有水、比。先王以建萬國、親諸侯。
書き下し文: 象(しょう)に曰(いわ)く、地(ち)の上(うえ)に水(みず)有(あ)るは比(ひ)なり。先王(せんのう)以(もっ)て万国(ばんこく)を建(た)て、諸侯(しょこう)を親(した)しむ。
現代語訳: 象伝は言う。大地の上に水が広がり、互いに親しみ合っているのが比の形である。古代の賢明な王たちはこれに倣(なら)い、多くの国々を建国し、諸侯と親しく交わった。
ポイント解説:
水が大地を潤し、大地が水を受け止めるように、互いに依存し合い、支え合って共存しているのが「比」の理想的な姿です。古代の賢王たちは、この自然の摂理に学び、多くの国々(人々や共同体)をそれぞれの特性を活かして建国し、それらの諸侯(リーダーたち)と親密な友好関係を築くことで、天下泰平を実現しました。これは、多様性を認め合い、互いに尊重し、協力し合うことで、より大きな調和と繁栄が生まれるという、組織や社会運営における普遍的な智慧を示しています。
4.むすび
水地比の卦は、わたしたちが他者と心を通わせ、信頼と協力の輪を広げ、そしてその中で共に成長していくための、温かくも深い智慧を授けてくれます。
-
- 1. 誰と「比(した)しむ」か、賢明に選ぶ勇気を持とう: 三爻が警告するように、わたしたちが誰と時間を共有し、心を交わすかは、人生に大きな影響を与えます。互いに高め合い、尊重し合えるような、前向きで誠実な人々との繋がりを大切にしましょう。時には、自分にとって良くない影響を与える関係からは、そっと距離を置く勇気も必要です。
- 2. 「比(ひ)を顕(あらわ)す」リーダーシップ、あるいはフォロワーシップを: 五爻が示すように、もしわたしたちが誰かを導く立場にあるならば、公明正大で寛容な心で人々に接し、彼らの自主性を尊重することが大切です。また、誰かに従う立場にあるならば、その中心となる人物や理念が「元永貞(大いなる徳、永続性、正しさ)」を備えているかを見極め、心からの信頼をもって協力することが、大きな力となります。
水地比の時は、わたしたちが孤独から抜け出し、他者との温かい繋がりの中で、互いに支え合い、共に成長していく素晴らしい機会です。真心と誠実さを胸に、賢明な選択を重ねることで、わたしたちの人間関係はより豊かに、そして人生はより喜びに満ちたものに向かっていくことでしょう。
