【易の叡智 第7卦】「地水師(ちすいし)」– 正義の師を率い、民を養い育む
1. 卦象: ䷆
2. 卦名: 地水師(ちすいし)
3. 【この卦のメッセージ】
上卦(じょうか):坤(こん) – 地、受容、柔順、母性、大衆
下卦(かか):坎(かん) – 水、険難、陥る、悩み、内なる危険
全体のイメージ:広大な大地(坤)の下に、険しい水(坎)が潜んでいる。この「地水師」の姿は、まるで大地の下に地下水脈が隠れているように、多くの人々(大衆=坤)の中に、困難や危険(坎)が潜んでいる状況、あるいは、その困難に立ち向かうために多くの人々が集結し、軍隊(師)を組織する様を象徴しています。「師」という文字は、元来、多くの人々が集まった軍隊を意味し、そこには規律と統率、そして共通の目的が不可欠です。 この卦は、個人の力だけでは解決できない大きな困難や課題に直面した時、多くの人々の力を結集し、それを賢明なリーダーシップによって導き、正義のために戦うことの重要性を示唆しています。それは、外的な敵との戦いだけでなく、わたしたちの内なる弱さや困難との戦いにも通じる、普遍的なテーマを秘めているのです。
1. 卦辞(かじ)– この卦全体のテーマ
原文(漢文):師。貞。丈人吉、无咎。
書き下し文: 師(し)は貞(ただ)し。丈人(じょうじん)なれば吉(きち)にして咎(とが)なし。
現代語訳: 師(軍隊を率いる、あるいは大衆を導く)の時は、正義と規律が守られていることが肝要である。経験豊かで徳のある人物(丈人)が指揮を執るならば、吉であり、咎めもない。
4. **ポイント解説:**
「師」は多くの人々を率いることを意味し、そこには大きな責任と困難が伴います。だからこそ、まず「貞(ただし)」、つまりその目的が正義にかない、規律が厳正であることが絶対条件です。そして、その集団を率いるのは「丈人」、すなわち人格、経験、能力の全てにおいて成熟し、人々から信頼される指導者でなければなりません。そのような正しい目的と優れた指導者のもとであれば、困難な状況(師の時)であっても、良い結果(吉)が得られ、非難されることもない(咎なし)と教えています。
2. 爻辞(こうじ)– 各爻(こう)が示す変化の機微と物語
初爻:
師(し)出(い)づるに律(りつ)を以(もっ)てす。否(しから)ざれば臧(よ)くとも凶(きょう)。
原文:師出以律。否臧凶。
書き下し文:師(し)出(い)づるに律(りつ)を以(もっ)てす。否(しから)ずんば臧(よ)くとも凶(きょう)。
現代語訳:軍隊が出動する際には、厳格な規律をもって行わなければならない。そうでなければ、たとえ目的が正しく(臧くとも)、兵が強くとも、結果は凶となる。
ポイント解説:**
軍隊(集団行動)の最初の段階。最も重要なのは「律」、すなわち規律やルールです。目的がいかに正しく、メンバーが有能であっても、規律が乱れていては烏合の衆となり、決して良い結果は得られません。何かを始めるにあたって、まず明確なルールを定め、それを全員が守ることの重要性を示しています。
二爻:
師(し)の中(うち)に在(あ)り。吉(きち)にして咎(とが)なし。王(おう)三(み)たび命(めい)を錫(たま)う。
原文:在師中、吉、无咎。王三錫命。
書き下し文:師(し)の中(うち)に在(あ)り。吉(きち)にして咎(とが)なし。王(おう)三(み)たび命(めい)を錫(たま)う。
現代語訳:軍隊(集団)の中心にあって指揮を執る。吉であり、咎めもない。王は重ねて(三たび)その任務を命じ、信頼を寄せるだろう。
ポイント解説:
この卦の唯一の陽爻であり、まさに「丈人」、すなわち集団を率いる中心人物の姿です。この指導者は、私心なく集団の真ん中にいて(師の中に在り)、皆の信頼を得て正しく指揮を執るため、吉であり咎めもありません。その優れた指導力と人望によって、王(最高権力者)からも厚い信頼を寄せられ、重要な任務を繰り返し任される(王三たび命を錫う)でしょう。真のリーダーシップのあり方を示しています。
三爻:
師(し)或(あるい)は屍(しかばね)を輿(の)す。凶(きょう)。
原文: 師或輿尸。凶。
書き下し文: 師(し)或(あるい)は屍(しかばね)を輿(の)す。凶(きょう)。
現代語訳:軍隊が、あるいは戦死者の屍を車に載せて帰ってくる。凶である。
ポイント解説:
指導力のない者が指揮を執ったり、無謀な戦いを仕掛けたりした結果、多くの犠牲者(屍を輿す)を出してしまう、非常に良くない状況です。これは、不適切なリーダーシップや、目的を見失った行動がもたらす悲惨な結果を警告しています。能力のない者が分不相応な地位に就くことの危険性を示唆しています。
四爻:
師(し)左(ひだり)に次(やど)る。咎(とが)なし。
原文:師左次。无咎。
書き下し文:師(し)左(さ)に次(やど)る。咎(とが)なし。
現代語訳:軍隊が一時的に退却し、安全な場所(左)に宿営する。咎めはない。
ポイント解説:
状況が不利であると判断し、無理に進軍するのではなく、一時的に退却して態勢を立て直す、賢明な判断を示しています。「左」は一般的に退く、あるいは安全な場所を意味します。戦いにおいては、進むことだけが勇気ではありません。状況に応じて柔軟に退き、力を蓄えることもまた、優れた戦略であり、咎められることではありません。
五爻:
田(た)に禽(えもの)有り。言(こと)を執(と)るに利(よろ)し。咎(とが)なし。長子(ちょうし)師(し)を帥(ひき)い、弟子(ていし)屍(しかばね)を輿(の)せば、貞(てい)なりと雖(いえど)も凶(きょう)。**
原文:田有禽。利執言。无咎。長子帥師、弟子輿尸。貞凶。
書き下し文:田(でん)に禽(とり)有(あ)り。言(げん)を執(と)るに利(よろ)し。咎(とが)なし。長子(ちょうし)師(し)を帥(ひき)い、弟子(ていし)屍(しかばね)を輿(の)せば、貞(ただ)しと雖(いえど)も凶(きょう)。
現代語訳:田に害獣(禽)がいる。言葉を尽くして説得し、これを捕らえるのが良い。そうすれば咎めはない。しかし、もし長男(経験の浅い者)が軍を率い、未熟な弟子たちが多くの犠牲を出すようなことになれば、たとえ目的が正しくとも凶となる。
ポイント解説:
解決すべき問題(田に禽有り)が存在しますが、武力で強引に排除するのではなく、まずは言葉を尽くして説得し、穏便に解決する(言を執るに利し)のが良いと教えています。そうすれば問題は解決し、咎めもありません。しかし、この爻の後半は警告です。経験の浅い者(長子)がリーダーとなり、未熟な者たち(弟子)がそれに従い、結果として多くの犠牲(屍を輿せば)を出すようなやり方では、たとえ目的が正しく(貞なりと雖も)ても、結果は凶となると戒めています。適切な人材登用と、無用な犠牲を避ける知恵の重要性を示しています。
上爻:
大君(たいくん)命(めい)有り。国(くに)を開(ひら)き家(いえ)を承(う)く。小人(しょうじん)は用(もち)うる勿(なか)れ。
原文:大君有命。開國承家。小人勿用。
書き下し文:大君(たいくん)命(めい)有(あ)り。国(くに)を開(ひら)き家(いえ)を承(う)く。小人(しょうじん)は用(もち)うる勿(なか)れ。
現代語訳:*偉大な君主が命令を下す。新しい国を興し、家系を継承させる。その際、徳のない小人物を登用してはならない。
ポイント解説:
「師」の戦いが終わり、勝利を収め、新たな秩序を打ち立てる段階です。偉大なリーダー(大君)が、新しい国を建国し(国を開き)、家業や伝統を次世代に継承させる(家を承く)という、大きな事業を成し遂げます。この重要な時期において、最も警戒すべきは、能力も徳もない人物(小人)を重要な地位につけてしまうことです。そのようなことをすれば、せっかく築き上げた秩序もすぐに乱れてしまいます。功労者への論功行賞や人材登用は、極めて公正かつ慎重に行わなければならないという、リーダーへの戒めです。
3. 大象伝(たいしょうでん)– この卦の形から学ぶ、理想のあり方
原文(漢文):象曰。地中有水、師。君子以容民畜眾。
書き下し文:象(しょう)に曰(いわ)く、地中(ちちゅう)に水(みず)有(あ)るは師(し)なり。君子(くんし)以(もっ)て民(たみ)を容(い)れ眾(しゅう)を畜(やしな)う。
現代語訳:象伝は言う。地の中に水が潜んでいるのが師の形である。君子(人格者)はこれに倣(なら)い、民衆を広く受け入れ、養い育てる。
ポイント解説:
大地(坤)の中に水(坎)が蓄えられている様子は、多くの人々(民衆)が、リーダーのもとに集い、その力を内に秘めている「師」の姿を象徴しています。これを見た君子は、その民衆を力で抑えつけるのではなく、「容民畜眾(民を容れ衆を畜う)」、つまり、広く人々を受け入れ、その生活を保障し、養い育てることによって、彼らの力を結集し、国家の基盤を強固なものとします。真のリーダーシップとは、民衆を愛し、育む包容力にあることを教えています。
4. むすび
地水師の卦は、わたしたちが人生における様々な「戦い」――それは目標達成への挑戦であったり、自己の内なる弱さとの葛藤であったり、あるいは社会的な課題への取り組みであったりします――に、どのように臨むべきかという、力強くも温かい智慧を授けてくれます。
地水師の時は、わたしたちのリーダーシップ、人間性、そして真の強さが試される時です。しかし、この卦の教えを深く心に刻み、正義と規律、そして人々への深い愛情を持って事に当たるならば、どんな困難な状況も乗り越え、関わる全ての人々と共に、確かな道筋を切り拓くことができるでしょう。
