【易経】 第50卦「火風鼎(かふうてい)」– 聖なる器に養われ、天命を新たにする時
1. 卦象(かしょう): ䷱

2. 名称(めいしょう): 火風鼎(かふうてい)
3. 【この卦のメッセージ】
上卦(じょうか):離(り) – 火、麗(つく)、明知、中女 *
下卦(かか):巽(そん) – 風、木、入る、従順、長女 *
全体のイメージ: 下にある木(巽)が燃えて火(離)となり、その火が物を煮て養う。この「火風鼎」の姿は、古代中国で食物を煮炊きし、神々への供物を捧げるために用いられた三本足の青銅器「鼎(かなえ)」そのものを象徴しています。鼎は、単なる調理器具ではなく、国家の権威や安定、そして新しい文化や秩序を確立する象徴でもありました。 風(木)が火を煽(あお)り、火が木を燃やしてエネルギーを生み出すように、下からの柔順な力(巽)が上の明知(離)を助け、その結果として、万物を養い、変容させ、そして社会全体に新たな恵みをもたらす。そんなダイナミックで安定感のある、そしてどこか神聖な物語が、この卦の形には秘められています。
卦辞(かじ)– この卦全体のテーマ
原文(漢文): 鼎。元吉。亨。
書き下し文: 鼎(てい)は元(おお)いに吉(きち)にして亨(とお)る。
現代語訳:鼎の時は、この上なく素晴らしく吉であり、願いは通る。
ポイント解説:
この卦辞は非常にシンプルでありながら、力強く「元吉(げんきつ)、亨(こう)」と、最高の吉運を示しています。「鼎」が象徴する「養育」「安定」「革新」といった働きが順調に進み、あらゆる物事がスムーズに成就することを意味します。新しい秩序を打ち立てたり、人々を養い育てたり、あるいは自分自身を根本から新たにするような試みにとって、この上ない追い風が吹いている時と言えるでしょう。
爻辞(こうじ)– 各爻(こう)が示す変化の機微と物語
初六(しょりく):
鼎(かなえ)趾(あし)を顛(くつがえ)す。否(ひ)を出(いだ)すに利(よろ)し。妾(しょう)を其(そ)の子(こ)以(もっ)て得(う)。咎(とが)なし。
原文:鼎顛趾。利出否。得妾以其子、无咎。
書き下し文:鼎(かなえ)趾(あし)を顛(くつがえ)す。否(ひ)を出(いだ)すに利(よろ)し。妾(しょう)を其(そ)の子(こ)を以(もっ)て得(う)。咎(とが)なし。
現代語訳:鼎の足がひっくり返っている。古い悪いものを排出するのに良い。その子を得るために妾を迎えるようなことがあっても、咎めはない。
ポイント解説:
鼎の最初の段階。足が不安定で、まだ鼎がしっかりと据えられていない状態です。これは、古い習慣や不要なもの(否)を一掃し、新しいものを迎え入れる準備をする時であることを示しています。「妾を其の子を以て得う」とは、一見通常ではない方法であっても、将来の大きな利益(子孫繁栄=新しい秩序の確立)のためであれば、許容されるという意味合いです。まずは古いものを手放し、土台を清めることが大切です。
九二(きゅうじ):
鼎(かなえ)に実(み)有り。我(わ)が仇(あだ)疾(やまい)有り、我(われ)に能(よ)く即(つ)かず。吉(きち)。
原文:鼎有實。我仇有疾、不我能即。吉。
書き下し文:鼎(かなえ)に実(み)有(あ)り。我(わ)が仇(あだ)疾(やまい)有(あ)り、我(われ)に能(よ)く即(つ)かず。吉(きち)。
現代語訳:鼎の中に実質的な中身(食物)が入っている。わたしを妬む敵対者は病を得ており、わたしに近づいて害をなすことはできない。吉である。
ポイント解説:
鼎の中に実質的な内容物が備わり、有用な状態になっていることを示します。自分自身が確かな実力や価値(実)を持っていれば、たとえ周囲に嫉妬する者(仇)がいたとしても、その悪意はあなたに届かず、害を受けることはありません。自信を持って、自分の持つものを大切にし、それを活かしていくことで吉を得ます。
九三(きゅうさん):
鼎(かなえ)の耳(みみ)革(あらた)まる。其(そ)の行(こう)塞(ふさ)がる。雉(ち)の膏(こう)食(くら)われず。方(まさ)に雨(あめ)ふりて悔(くい)を虧(か)く。終(つい)に吉(きち)。
原文:鼎耳革。其行塞。雉膏不食。方雨虧悔、終吉。
書き下し文:鼎(かなえ)の耳(みみ)革(あらた)まる。其(そ)の行(こう)塞(ふさ)がる。雉(ち)の膏(こう)食(くら)われず。方(まさ)に雨(あめ)ふりて悔(くい)を虧(か)く。終(つい)には吉(きち)。
現代語訳:鼎の取っ手(耳)が改められたが、それがかえって機能を損ない、持ち運べなくなってしまった。美味な雉の脂身も食べられない。しかし、やがて恵みの雨が降り、これまでの行き詰まりや後悔も薄れ、最終的には吉となる。
ポイント解説:
良いと思って行った改革(耳革まる)が、一時的に裏目に出て、物事の進行が滞ってしまう(其の行塞がる)状況です。才能や良いもの(雉の膏)があっても、それを活かせないもどかしさがあるかもしれません。しかし、この停滞は長くは続かず、やがて状況が好転し(方 に雨ふりて)、後悔も消え、最終的には良い結果(終に吉)が得られるでしょう。焦らず、時を待ち、状況の変化を見極めることが大切です。
九四(きゅうし):
鼎(かなえ)足(あし)を折(お)る。公(こう)の餗(そく)を覆(くつがえ)す。其(そ)の形渥(渥の音はアク、うるおう、ぬれる、はずかしめるの意)たり。凶(きょう)。
原文:鼎折足。覆公餗。其形渥。凶。
書き下し文:鼎(かなえ)足(あし)を折(お)る。公(こう)の餗(そく)を覆(くつがえ)す。其(そ)の刑(すがた)渥(あく)たり。凶(きょう)。
現代語訳:鼎の足が折れてしまった。君主の大切な食物をこぼして台無しにしてしまう。その様は見るも無残で、面目を失う。凶である。
ポイント解説:
鼎を支える重要な足が折れてしまうという、危機的な状況です。これは、能力以上の重責を担おうとしたり、自分の力量を過信したり、あるいは信頼できない人物を重要な役割に用いたりした結果、計画が頓挫し、大きな失敗を招くことを警告しています。責任ある立場にある者は、特に人材登用や自己の能力評価において、慎重さが求められます。大きな損失と信頼失墜を招く凶運です。
六五(りくご):
鼎(かなえ)黄耳(こうじ)金鉉(きんげん)たり。貞(てい)に利(よろ)し。
原文:鼎黄耳金鉉。利貞。
書き下し文:鼎(かなえ)は黄耳(こうじ)金鉉(きんげん)たり。貞(てい)にするに利(よろ)し。
現代語訳:鼎には黄色い取っ手がつき、金でできた持ち運びの環がついている。正しい道を守れば良い。
ポイント解説:
鼎が最も美しく、機能的にも優れた状態にあることを示します。「黄」は中庸や誠実さを、「金」は堅固さや貴重さを象徴します。柔順で中庸の徳(黄耳)を備え、賢明で信頼できる補佐役(金鉉)を得て、物事を進めることができる時です。この素晴らしい状態を維持するためには、正しい道(貞)をしっかりと守り続けることが大切です。謙虚さと誠実さが、さらなる吉を呼び込みます。
上九(じょうきゅう):
鼎(かなえ)玉鉉(ぎょくげん)たり。大吉(だいきち)。利(よろ)しからざるなし。
原文:鼎玉鉉。大吉。无不利。
書き下し文:鼎(かなえ)は玉鉉(ぎょくげん)たり。大吉(だいきち)。利(よろ)しからざるなし。
現代語訳:鼎には玉でできた持ち運びの環がついている。非常に素晴らしく吉である。何事においても良い結果が得られないことはない。
ポイント解説:
鼎の完成形であり、最高の状態です。「玉」は、高貴さ、純粋さ、そして永続性を象徴します。これまでの努力や徳の積み重ねが最高潮に達し、あらゆる物事がスムーズに進み、大きな成功と幸福(大吉)が得られる時です。何をやっても良い結果に繋がる、まさに至福の時と言えるでしょう。ただし、この状態に安住せず、感謝の心を忘れずにいることが、この幸運を持続させる鍵となります。
【火風鼎(かふうてい)の「彖伝」】
原文 彖曰。鼎、象也。以木巽火、亨飪也。聖人亨、以享上帝。而大亨、以養聖賢。巽而耳目聰明。柔進而上行、得中而應乎剛。是以元亨。
書き下し文 彖(たん)に曰(いわ)く、鼎(てい)は、象(しょう)なり。木(もく)を以(もっ)て火(ひ)に巽(い)れて、亨飪(きょうじん)するなり。聖人(せいじん)は亨(に)て、以て上帝(じょうてい)に享(きょう)す。而(しか)して大(おお)いに亨(に)て、以て聖賢(せいけん)を養(やしな)う。巽(したが)いて耳目(じもく)聰明(そうめい)。柔(じゅう)進(すす)みて上(かみ)に行(おこな)われ、中(ちゅう)を得(え)て剛(ごう)に應(おう)ず。是(ここ)を以(もっ)て元(おお)いに亨(とお)る。
現代語訳 彖伝は言う。鼎とは、物をかたどった象徴的な器である。(下の巽の)木を用いて(上の離の)火に柔順に従わせ、食物を煮炊きするのである。聖人は、この煮炊きしたものをもって、天の神(上帝)に捧げる。そして、さらに盛大に煮炊きして、聖人や賢者を養い育てるのである。(この卦は)柔順に従い(巽)、かつ、耳や目が聡明である(離の明知)という徳を備えている。柔順なもの(六五の陰爻)が進み出て上の位へと向かい、中庸の徳を得て、下の剛健なもの(九二の陽爻)と応じ合っている。だからこそ、願いは根本から大きく通り、成就するのである。
大象伝(たいしょうでん)– この卦の形から学ぶ、理想のあり方
原文(漢文):象曰。木上有火、鼎。君子以正位凝命。
書き下し文: 象(しょう)に曰(いわ)く、木(き)の上(うえ)に火(ひ)有(あ)るは鼎(てい)なり。君子(くんし)以(もっ)て位(くらい)を正(ただ)しうし命(めい)を凝(こら)す。
現代語訳:象伝は言う。木の上に火があるのが鼎の形である。君子(人格者)はこれに倣(なら)い、自分の位置・役割を正しくし、天から与えられた使命を固く守り、それを成就させる。
ポイント解説:
木(巽)が燃えて火(離)となり、その火が鼎の中のものを煮て養うように、下のものが上のものを助け、全体として大きな目的を達成していくのが鼎の象徴です。これを見た君子は、まず自分自身の「位(くらい)」、つまり立場や役割、本分を正しく認識し、その上で天から与えられた「命(めい)」、すなわち使命や人生の目的をしっかりと心に定め(凝らす)、それを全うするために努力します。自分の役割を正しく理解し、使命に集中することの重要性を教えています。
【むすび】
火風鼎の卦は、わたしたちが自分自身を、そして周囲を「養い」、新しいものを「創造」し、社会の中で自分の「役割」を全うし、そして「天命」を輝かせるための、豊かで温かい智慧に満ちています。
- 1. あなたは、何を「養い育てたい」ですか? – 心の鼎(かなえ)を満たすものを見つけよう: 鼎が食物を煮て人々を養うように、わたしたちもまた、自分自身の心と体、そして才能や人間関係を大切に「養い育てていく」存在です。今、あなたが最も心を込めて養いたいものは何でしょうか? それは新しい知識やスキルかもしれませんし、家族や友人との絆、あるいは自分自身の内なる平穏かもしれません。その対象を見定め、愛情と時間を注ぐことが、豊かな実りへと繋がります。
- 2. 「位を正し、命を凝らす」 – あなたの真の役割と使命に目覚めよう: 大象伝が示すように、わたしたちが自分の本分や役割(位)を正しく理解し、人生における真の目的や使命(命)に意識を集中する時、そこに大きな力が生まれます。わたしたちは、社会の中で、家庭の中で、そして自分自身の人生において、どのような役割を果たし、何を成し遂げたいのでしょうか? その「正位凝命」の姿勢こそが、日々の行動に一貫性と意味を与え、わたしたちをよりよい道へと力強く導いてくれます。
- 3. 古いものを手放し、「新しい変容」を恐れない勇気を: 初六の爻が示すように、時には古いものや不要なものを手放し、場を清めることが、新しいものを迎え入れ、成長するための第一歩となります。変化を恐れず、過去の成功体験や古い価値観に固執することなく、常に自分自身を「新たにする」勇気を持ちましょう。鼎が食物を変容させるように、わたしたちもまた、経験を通して新しい自分へと生まれ変わっていくのです。
- 4. 謙虚さと誠実さで「黄金の耳」と「玉の鉉(つる)」を輝かせよう: 六五や上九の爻が示すように、真の成功や幸福は、内面の徳の輝きと、周囲との調和の中にあります。謙虚な心(黄耳)で他者の声に耳を傾け、誠実な行動(金鉉)を積み重ね、そして完成された人格(玉鉉)を目指す。その過程で得られる信頼と尊敬こそが、わたしたちの人生を大いに吉とし、何事もスムーズに進む境地へと導いてくれるでしょう。
火風鼎の卦は、わたしたち一人ひとりが、社会や共同体の中で大切な役割を担い、他者を養い、自らも養われ、そして常に新しいものを生み出しながら成長していく、尊い存在であることを教えてくれます。この温かくも力強い鼎のエネルギーを心に満たし、わたしたちの毎日を、そして未来を豊かな実りで彩っていきましょう。