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【易経】 第4卦「山水蒙(さんすいもう)」– 未知への扉を開き、学び育つ時

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【易経】 第4卦「山水蒙(さんすいもう)」– 未知への扉を開き、学び育つ時

 

1. 卦象:

2. 卦名: 山水蒙(さんすいもう)

3. 【この卦のメッセージ】

上卦(じょうか):艮(ごん) – 山、止まる、篤実、少男
下卦(かか):坎(かん) – 水、険難、陥る、悩み、中男

全体のイメージ: 下にある険しい水(坎)が、その行く手を山(艮)に阻まれ、流れが滞り、霧が立ち込めている。この「山水蒙」の姿は、まるで山の麓の泉から湧き出たばかりの水が、まだどちらへ流れていけば良いのか分からず、辺りが霧で覆われて見通しが利かない、そんな幼く未熟な状態を象徴しています。「蒙」という文字は、草木が地面を覆い隠し、物事の分別がつかない状態を表し、ここでは「蒙昧(無知で道理に暗いこと)」や「啓蒙(教え導いて蒙を開くこと)」の「蒙」を意味します。 しかし、この霧の中には、やがて大河となり海へと注ぐ可能性を秘めた泉(坎の知恵)があり、そして行く手を定める不動の山(艮の篤実さ)も存在します。これは、未熟さや困難の中にも、導きと成長の可能性が必ずあることを示唆しているのです。

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 卦辞(かじ)– この卦全体のテーマ

    1.  原文(漢文): 蒙。亨。匪我求童蒙、童蒙求我。初筮告、再三瀆、瀆則不告。利貞。

書き下し文: 蒙(もう)は亨(とお)る。我(われ)童蒙(どうもう)に求(もと)むるに非(あら)ず、童蒙(どうもう)我(われ)に求(もと)む。初筮(しょぜい)には告(つ)ぐ。再三(さいさん)すれば瀆(けが)る。瀆(けが)るれば則(すなわち)告(つ)げず。貞(ただ)しきに利(よろ)し。

現代語訳: 蒙(無知な状態)であっても、(正しく導けば)願いは通る。わたし(教える側)が未熟な者に教えを乞うのではなく、未熟な者が真摯にわたしに教えを乞うならば、道は開ける。最初の問いには真剣に答えるが、二度三度と同じことを疑って聞くのは(教えを)冒涜することであり、そのような不遜な態度であればもう答えない。正しい道を守ることが大切である。

ポイント解説:

        「蒙」は未熟で無知な状態を示しますが、卦辞は「亨る(通る)」と、成長と啓発の可能性を力強く示しています。しかし、それには条件があります。それは、教えを請う側(童蒙)が真摯な態度で教えを求めること(童蒙我に求む)。教える側は、最初の真剣な問いには丁寧に答えますが(初筮には告ぐ)、同じことを何度も疑ったり、軽々しく質問を繰り返したりする(再三すれば瀆る)のは、教えを軽んじる行為であり、そのような場合は教えを授けるべきではない(瀆るれば則ち告げず)と説きます。そして、教える側も学ぶ側も、共に正しい道(貞)を守ることが、この蒙を啓く上で最も大切であると教えています。真摯な学びの姿勢と、適切な導きが鍵となります。

2. 爻辞(こうじ)– 各爻(こう)が示す変化の機微と物語

初六

1原文:發蒙。利用刑人、用説桎梏。以往吝。

2書き下し文:
蒙(もう)を発(ひら)く。人(ひと)を刑(いまし)むるに利(よろ)し。用(もっ)て桎梏(しっこく)を説(と)く。以(もっ)て往(ゆ)けば吝(りん)。


現代語訳:蒙昧を開き導く。そのためには、規律や型をもって教え導くのが良い。それによって、無知という手枷足枷(桎梏)から解放するのだ。しかし、厳しさだけをもって進めば、やがて行き詰まる。

4ポイント解説:
蒙昧な状態にある者を最初に導く段階です。この時は、ある程度の規律や罰(刑人)をもって、何が善くて何が悪いのか、基本的なルールや型を教え込むことが効果的です。それによって、無知や束縛(桎梏)から解放するのです。しかし、厳しさや強制だけ(以往)では、相手の自発的な学びを促せず、やがて反発を招いたり、関係が悪化したり(吝)する可能性があります。初期の教育には規律も必要ですが、それだけに頼ってはいけないという戒めです。

九二

*原文:包蒙吉。納婦吉。子克家。

書き下し文:蒙(もう)を包(つつ)むは吉(きち)。婦(ふ)を納(い)るるは吉(きち)。子(こ)家(いえ)を克(よく)す。**

現代語訳:未熟な者を寛容に包み込み、辛抱強く教え導けば吉である。そのような包容力のある人物が嫁を迎えれば吉であり、その子は立派に家を治めるだろう。

ポイント解説:

剛健中正な徳を備えた爻で、未熟な者(蒙)を厳しく罰するのではなく、大きな愛情と寛容さ(包む)をもって、辛抱強く教え導く姿勢が吉とされます。このような包容力と指導力を持つ人物は、家庭においても良き伴侶を得て(婦を納るるは吉)、その子どももまた立派に成長し、家を継いでいく(子は家を克くす)ことができるでしょう。厳しさだけでなく、愛情と寛容さをもって接することの大切さを示しています。

六三

原文:勿用取女。見金夫、不有躬。无攸利。

書き下し文:女(おんな)を取(めと)るに用(もち)うる勿(なか)れ。金夫(きんぷ)を見(み)て躬(み)を有(たも)たず。利(よろ)しき攸(ところ)なし。**

現代語訳:このような女子を娶(めと)ってはならない。彼女は裕福な男性(金夫)を見ると、自分を見失い、節操をなくしてしまう。何の利益もない。

ポイント解説:
この爻は、教育の対象者、あるいは人を選ぶ際の注意を示しています。自分自身の意志や主体性を持たず(躬を有たず)、目先の利益や魅力的なもの(金夫)にすぐに心を奪われてしまうような、軽薄で未熟な人物とは深く関わるべきではない、という警告です。そのような相手からは何の得るものもなく(利しき攸なし)、かえって不利益を被る可能性があります。人を見極める眼の重要性を示唆しています。

   

六四

原文:困蒙。吝。

書き下し文:蒙(もう)に困(くる)しむ。吝(りん)。

現代語訳:蒙昧な状態に閉じ込められ、困窮している。恥ずべき状況である。

ポイント解説:

未熟で無知な状態(蒙)から抜け出せず、孤立し、困窮している姿です。周囲に教えを請うべき師や、助けてくれる仲間もおらず、ただ暗闇の中で途方に暮れているような状況。このような状態に陥るのは、自ら学ぶことを怠ったり、他者の助言に耳を貸さなかったりした結果かもしれません。非常に困難で、恥ずべき(吝)状況であることを示しています。

   

六五

童蒙(どうもう)吉(きち)。

原文:童蒙吉。

書き下し文:童蒙(どうもう)は吉(きち)。

現代語訳:子供のように素直で純粋な心で学ぶならば、吉である。

ポイント解説:**
五爻は君主の位置にあり、柔順中正の徳を備えています。この爻は、まるで子供のように(童蒙)、素直で純粋な心で、偏見なく教えを受け入れる姿勢が吉であることを示しています。たとえ高い地位にあっても、あるいはある程度の知識や経験があっても、常に謙虚に学ぶ心を持ち続けることの大切さを教えています。そのような素直さこそが、真の成長と啓発に繋がるのです。

   

上九

原文:撃蒙。不利為寇、利禦寇。

書き下し文:蒙(もう)を撃(う)つ。寇(こう)と為(な)すに利(よろ)しからず、寇(こう)を禦(ふせ)ぐに利(よろ)し。

現代語訳:蒙昧を打ち破る。その際、自ら攻撃的になるのは良くないが、害悪から身を守るためには断固として対処するのが良い。

ポイント解説:
蒙昧な状態を最終的に打ち破り、啓発する段階です。この時、厳しく断固たる態度(撃つ)が必要となることもありますが、それは相手を打ち負かしたり、傷つけたりするため(寇と為す)であってはなりません。むしろ、誤った考えや無知から生じる害悪(寇)から、本人や周囲を守るため(寇を禦ぐ)という、愛と責任に基づいたものであるべきです。教育の最終段階における、厳しさと愛情のバランスの重要性を示しています。

【山水蒙(さんすいもう)の「彖伝」】

原文
彖曰。蒙、山下有險、險而止、蒙。蒙亨。以亨行、時中也。匪我求童蒙、童蒙求我、志應也。初筮告、以剛中也。再三瀆、瀆則不告、瀆蒙也。蒙以養正、聖功也。

書き下し文
彖(たん)に曰(いわ)く、蒙(もう)は、山(やま)の下(した)に險(けん)有(あ)り。險(けん)にして止(とど)まるは、蒙(もう)なり。蒙(もう)は亨(とお)る。亨(とお)るを以(もっ)て行(おこな)うは、時(とき)中(ちゅう)なればなり。我(われ)童蒙(どうもう)に求(もと)むるに匪(あら)ず、童蒙(どうもう)我(われ)に求(もと)むとは、志(こころざし)應(おう)ずればなり。初筮(しょぜい)には告(つ)ぐとは、剛中(ごうちゅう)なるを以てなり。再三(さいさん)すれば瀆(けが)る、瀆(けが)るれば則(すなわち)告(つ)げずとは、蒙(もう)を瀆(けが)せばなり。蒙(もう)を以て正(せい)を養(やしな)うは、聖(せい)の功(こう)なり。

現代語訳
彖伝は言う。蒙とは、山の下に険しい水がある形である。危険を前にして立ち止まっている、これが蒙(道理に暗い状態)である。 蒙の時は、(正しく導けば)願いは通る。願いが通るように行動できるのは、そのタイミングが適切だからである。「わたし(教える側)が未熟な者に教えを求めるのではなく、未熟な者がわたしに教えを求める」というのは、教えを求める側の志に、(教える側の)志が応じるからである。「最初の問いには答える」というのは、(教える側に)剛健中正の徳(九二の爻)があるからである。「二度三度と質問を重ねるのは(教えを)冒涜することであり、冒涜するならば答えない」というのは、未熟さそのものを冒涜することになるからである。(この蒙昧な状態を機会として用い)正しい徳性を養うこと、それこそが聖人の偉大な功績なのである。

 

大象伝(たいしょうでん)– この卦の形から学ぶ、理想のあり方

原文(漢文):** 象曰。山下出泉、蒙。君子以果行育德。

書き下し文:** 象(しょう)に曰(いわ)く、山(やま)の下(した)より泉(いずみ)を出(い)だすは蒙(もう)なり。君子(くんし)以(もっ)て行(おこない)を果(か)にして德(とく)を育(やしな)う。

現代語訳:** 象伝は言う。山の麓から泉が湧き出ているのが蒙の形である。君子(人格者)はこれに倣(なら)い、決断力のある行動によって成果を上げ、それによって徳性を養い育てる。

ポイント解説:**

 山の麓から湧き出る泉は、最初は細々として流れも定まらないかもしれませんが、やがては清らかな流れとなり、周囲を潤していきます。これが「蒙」の象徴です。君子は、この泉がやがて大河となるように、曖昧な状態や未熟な段階においては、まず決断力を持って行動し(行を果にして)、具体的な成果を積み重ねていく。そして、その実践と経験を通して、自身の徳性(德)を養い育てていく(德を育う)ことの重要性を教えています。つまり、机上の空論ではなく、実践的な行動と経験こそが、真の知恵と徳を育むのです。

 

4.むすび


山水蒙の卦は、わたしたちが人生の様々な場面で出会う「未知」や「未熟さ」と、どのように向き合い、そこからいかにして成長の光を見出していくかという、普遍的で温かい智慧をわたしたちに授けてくれます。

  • 1. 「知らないこと」を恐れず、素直な「学びの心(童蒙)」を大切にしよう: わたしたちは誰でも、新しい分野や未知の状況に対しては「蒙(無知)」な状態からスタートします。大切なのは、その「知らない」という事実を素直に認め、子供のような純粋な好奇心と謙虚さ(童蒙)をもって、積極的に教えを請い、学ぶ姿勢です。よくなるといういことは、この「学び続ける心」から始まるのです。
  • 2. 「教える心」と「待つ心」 – 誰かの成長を、愛情と寛容さで包み込もう: わたしたちが誰かを導く立場にある時、あるいは子供や後輩の成長を見守る時、九二の爻が示すような「蒙を包む」寛容さと、相手のペースを尊重する「待つ心」が求められます。厳しさだけでは人は育ちません。愛情深い眼差しと、辛抱強いサポートこそが、相手の自発的な成長を促し、やがて大きな花を咲かせるのです。
  • 3. 「果行育德(かこういくとく)」 – 行動し、経験し、そして徳を育む実践を!: 大象伝が教えるように、真の成長や徳性の涵養は、頭で考えるだけでは得られません。まずは勇気を持って一歩を踏み出し、具体的な行動(果行)を積み重ね、その経験から学び、反省し、そしてまた次の行動へと繋げていく。この実践のサイクルの中でこそ、わたしたちの知恵は深まり、人間としての徳(育德)は磨かれていくのです。それは「果行育德」の精神そのものです。
  • 4. 「初筮には告ぐ」真摯な問いには、真摯な答えを。そして、自らも問い続ける: 卦辞が示すように、真剣な問いかけは、必ず道を開く力を持っています。わたしたちもまた、自分自身や人生に対して、常に真摯な問いを発し続けることが大切です。そして、誰かから教えを請われた時には、その真摯な心に応え、持てる知恵を分かち合う。この相互の学び合いこそが、わたしたちの社会全体を「益々よく」していくのではないでしょうか。

山水蒙の時は、わたしたちの「知りたい」「成長したい」という根源的な欲求が試され、そして育まれる時です。未知の霧が立ち込めていても、その奥には必ず清らかな泉が湧き出ており、そして不動の山がわたしたちを導いてくれています。素直な心と実践する勇気を持って、この「蒙」の時を乗り越える時、わたしたちは必ずや新しい自分へと生まれ変わり、より豊かな風景を見ることができるでしょう。